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『La llorona:ラ・ジョローナ』~泣き女の伝説とチャベラ・バルガス(フリーダ・カーロの日記#9)
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Eloisa Aquino, THE LIFE AND TIMES OF BUTCH DYKES,B&D Press 2010
フリーダの日記には、たくさんの涙と泣き顔が登場します。8頁に及ぶディエゴへの愛の手紙の最後に添えられた線描は、複数の瞳が木の根やこぶの隙間に描かれたもので、いくつかの瞳からは涙がこぼれています。フリーダが好んで使用したと思われる涙のモチーフは、彼女個人の痛みや悲しみを表現するためのものですが、実は、メキシコという国そのものにそうした伝説や背景が存在しています。
ラテンアメリカの民間伝承による物語「泣き女の伝説(La llorona:ラ・ジョローナ)」も、その一つです。泣き女の伝説には様々なバージョンが存在しますが、メキシコの民話の1例をあげると次のようなものです。
白人のスペイン人の子を産んだ女性が、男に裏切られ狂気に陥り、自分の子を川に流して殺してしまう。その後、母親である自身も川に身を投げ死んでしまうのだが、彼女の後悔と悲しみは魂となって泣きながら子を求めつづけ、川辺をさまよう子どもを捕まえようとする。
侵略された歴史を持つメキシコ。白人であるスペイン人は、先住民にとっては侵略者でした。つまり白人の子を生むということは、インディヘナの血統を承継しない裏切り者とみなされるのです。この物語からインスピレーションを得た歌「ラ・ジョローナ」は、長年にわたりメキシコの各地で歌われてきましたが、歌詞は愛の歌であったりメランコリックな内容のものであったり様々です。フリーダと交流があり、恋愛関係にもあったメキシコ人歌手、チャベラ・バルガス(1919-2012)は、オアハカの民謡の「ラ・ジョローナ」を歌っています。フリーダもこの歌がお気に入りだったそうです。
ところで、2003年、日本でも映画『フリーダ』が上映されました。過去1984年にポール・ルディック監督、オフェリア・メディーナ主演により映画化されていましたが、2003年にジュリー・ティモンス監督により上映された『フリーダ』は、メキシコ生まれの女優サルマ・ハエックの大熱演振りが高く評価されています。2003年ベネチア映画祭でオープニング作品として上映された他、アカデミー賞に数部門ノミネートされ、作曲賞およびメークアップ賞を受賞しました。この映画の中で、チャベラご本人が登場して、La lloronaを歌っています。
チャベラはディエゴ・リベラとフリーダ・カーロと一緒に1年ほど暮らしていました。ディエゴとフリーダのパーティには、音楽とテキーラは欠かせません。そして、そこにはいつもたくさんのインテリ層の芸術家や思想家たちがいたと言います。
チャベラはフリーダとの出会いについて、こう語っています。
フリーダは私に言いました。『ねえ、ここにいなさい。あなたはひとりぼっち。それに人生をまだ何も知らない。だから私の家にいなさい。』だから私は彼女の家に居ることにしたのです。彼女は絵を描き、私は歌いました。
※フリーダとチャベラの記事の参照↑
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