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ふつつかものに愛を

本当に僕でいいのかい
仕事も半人前の未熟者だけど
至らないのは私のほうこそ
それを補いあうのが夫婦じゃない
#ジブリで学ぶ自治体財政

「対話」って大事だよねと言う話をするたびによく聞くのが,うまく「対話」ができない人,うまく「対話」が進まない場合への対処方法の話。
「対話とは何か」と大きく振りかぶって持論を展開すると「きれいごとを言ってもそんなにうまくはいかないよ」という諦めや蔑み,理想と現実のはざまでどう取り組めばいいのかという不安の声が聞こえてきます。
人の話を聞かない,自分の主張を押し通そうとする,強い偏見を持って接する,といった,わかりやすい「対話クラッシャー」以外にも,つい話が長くなる,人の話を長く聞けない,自分と違う意見が出ると言い返してしまう,あるいは人の反応が気になって意見が言えない,人の意見に流される,自分の意見がうまくまとまらない,などスムーズに自分の内面を開き,あるいは他人の声を傾聴することができないという人は多く,かくいう私だっていつも聖人君子でいられるわけではありません。

しかし現実としては,自分の意見を主張し,他人の意見を聴き,その中で折り合いをつけていくのが集団で生きる我々の社会生活ですから,そこには何らかの「話す」「聴く」スキルが必要なわけで,世の中で生きる人はみんな自己流でそれなりの「対話」らしきものに挑戦している,その成長の途上にあるのだと考えればよいと思うのです。
「対話力」が未熟な者たちの「対話」らしきものは,当然ながら理想の「対話」にはならず,もやもやしたものが残ることもあるでしょう。
個人として未熟な部分もあれば,その未熟な部分を社会として許容している,社会としての発展途上がそのもやもやの要因である場合もあるでしょう。
私たちは,「対話」について個人としても社会としても未成熟であるという現実のもとで,「対話」による問題解決を図ろうとしているのです。

「対話」そのものを体験し,学び,体得するためのワークショップで必要なのは,まさに我々が「対話」について未熟であるという認識の顕在化です。
意外なほど人は自分の話を聞かないし,自分は人の話を聞いていない。
聴いてもらえないのはなぜか,聴いていないのはなぜか,どうすれば互いの言葉に耳を傾け,否定も断定もしないで語り合うことができるようになるのか。
ワークショップはこのようなことへの気づきを与える場になっていきます。
ここで大事になるのはスキルではなく,その根底に置くべき精神論。
本来「対話」とは相互の尊重と相手を理解しようとする気持ちがあれば自然と行われるものであり,技術はそれをわかりやすく表現しているだけです。
ワークショップはあくまでも仮想体験の場なので,ここで表出する「対話」の未熟さは当然のこととして受け止め,その未熟を積極的に指摘し鍛錬していくべきものと考えます。

問題なのは,「対話」という手法を用いて意見集約や合意形成を図ろうという場合に生じる,未熟な「対話」がもたらす衝突や不満と,そこからもたらされる不信や離反,不十分な合意形成という結果です。
私はいつも「議論の前に対話を置く」ことを推奨していますが,「対話」が不十分で議論に至る前捌きが期待通りでなかった場合は議論によって導かれる結論の質に当然影響すると考えています。
「対話」が未熟な者同士が,未熟な主張をぶつけ合い,相互に理解も納得も得られず物別れに終わる。
このような事象に対して私たちができるのは,当事者の未熟さにその責めを負わせることではありません。
それは参加者同士の心の壁を取り払うワールドカフェかもしれません。
あるいはグラフィックレコーディングによる可視化かもしれません。
対話を促進するファシリテーションが対立の回避に役立つかもしれません。
実は,誰を参加者とし,どういう議題で,どういうゴールを目指してそのような対話の場を設けるかという,場の設定の出発点に遡っての設計にかかっている場合もあります。
私たちができるのは,個人としても社会全体としても「対話」について未熟であるという認識を持ち,参加者の「対話力」を過信せず,「対話」がもたらす効果に現実離れした魔法のような効果を期待せず,しかしながら「対話」の持つ力を信じ,その力が最大限発揮されるよう場を設計し,その場で起こることに丁寧に目配りし,きめ細やかに対応していくこと。
「対話」が成立する要件,成立を阻む障害を正しく理解し,「対話」の成立に向けた可能な限りの条件整備と,「対話」の未熟さ故に生じる様々なトラブルから逃げずに立ち向かうことしかないのです。

その意味で,「対話の場」の設計者,運営者の覚悟と責任は重大です。
「対話」とは何かを理解したうえで,目的である意見集約や合意形成をどのようなかたちで実現させたいのか,未熟な「対話」による消化不良をリカバリーして目的を成就させる道程をしっかりとイメージし,あらゆる手段を用いて目的を達成するための努力を惜しんではなりません。
なぜこの局面で「対話」という手法を用いようとしたのか。
誰と誰が言葉を交わし,どのような状態になることを目指すのか。
それは「対話」という手法を用いることが最善なのか。
「対話」が未熟であったとしても,「対話」を行うことに意義があるのか。
「対話」を行わないことのリスク,未熟な「対話」がもたらす対立や不満との比較を行うことも必要です。
こうした場合には「対話」という手法だけにこだわる必要はなく,目的達成のための熱意と周到な準備に尽きると思います。

このように考えると,「対話の場」を創るなど「対話」によって何かをなそうとする者は,「対話」とは何かを正しく理解することはもちろん,我々が「対話」について未熟であることを認識することが必要であり,加えて,その未熟さを何で補うかという手立てについて,未熟さの種類や段階,その表出事案に応じて考えておき,備えることができるようにならなければならないことがわかります。
一方で,「対話」は目的達成の手段として活用されるだけでなく,私たち一人ひとりが「そこにいること」を受容される,基本的人権を尊重する社会のありようととらえてその価値を論じることもできます。
「対話」の力を信じ,「対話」で世の中を変えていきたいと考えるのであれば,こうした「対話」への理解自体が未成熟であることについても自覚し,その理解の成熟に向けて,人一倍「対話」について考え,学び,習得しなければならないと思っています。

★自治体財政に関する講演、出張財政出前講座、『「対話」で変える公務員の仕事』に関する講演、その他講演・対談・執筆等(テーマは応相談)、個別相談・各種プロジェクトへの助言・参画等(テーマ、方法は応相談)について随時ご相談に応じています。
https://note.com/yumifumi69/n/ndcb55df1912a
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
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