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腰抜けたちの度胸試し

あっちが18歳まで無償化なら
こっちは20歳までだ
もちろん自己負担なんか取らない
競争なんだから負けるわけにはいかないだろう
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
前々回、前回の2回にわたり、少子化や人口減少をめぐり地方自治体が講じる対策の在り方に一石を投じてきましたが、皆さんいかがお感じでしょうか。
 

少子化、人口減少に抗うために、と各自治体が躍起になって子育て支援や移住定住政策を進めていますが、それってホントに子どもを増やし、人口を増やすことができるのか。
それぞれの施策は、子どもを増やすため、人口を回復させることが目的ではなく、個人の生き方をサポートし、自己実現を図ることでしかないのではないか。
そうだとしても、それはそれで住民福祉向上を目的とする地方自治体の責務の範疇であり、そこに意義を見出し、政策推進を支持する市民は多いことでしょう。
私も前2回の投稿ではそのように述べたつもりです。
 
移住・定住政策も子育て支援も、減少する人口を補う施策としてその数で競うのではなく、暮らしやすさの自治体間競争ととらえればよい。
人口減少を食い止める効果のない焼け石の水のように見えて、実は国全体が人口減少する縮小社会の中でも個々人が自分に適した地域でよりよく生きることができるWell-beingの実現に不可欠な、地域単位での取り組みなのだと考えればよい。
そう考えればやる意味はあるし、その効果も住民がその地域で暮らすうえで求める自己実現への満足度で測ればよいということになります。
 
とはいえ、この手の自治体間競争には陥りやすい罠があります。
それは、住民の求める自己実現をどの程度まで公共が支援するのかという問題。
無尽蔵に財源があるわけではなく、あったとしてもどこまでも個人の欲望を満たし続けることが公共として適切でないことくらい誰でもわかりますが、じゃあどこまでやればいいのか、どこで線を引きブレーキを踏むのかという話です。
今、保育や医療、給食費など、子どもの養育にかかる経費について親の個人負担を極小化し、あるいは新たな給付を行う動きが全国で見られますが、二つの観点から注視していく必要があると考えています。
 
一つは「バラマキ」にならないかという懸念。
行政サービスの拡充や給付の拡大は、その時点で大変市民に喜ばれますが、その後の自治体運営、特に人口減少や高齢化による社会保障費の増大などにより、自治体財政が悪化し、行財政改革を進めなければならなくなったときに大きな足かせとなるリスクを考えてみましょう。
行財政改革を進めていくうえで最大の難敵は「バラマキ」施策です。
「バラマキ」の厄介なのはその特徴である対象の広さと給付の常態化です。
対象の広さ,給付の常態化は,行政施策として致命的な欠陥となる「施策効果の見えづらさ」をもたらします。
このような「バラマキ」施策は対象者が幅広いため導入については広く賛同が得られやすい一方,効果が見られないなどの理由で見直しを掲げると多くの対象者が反対するため,多数決を前提とした議論では見直し派には勝ち目がありません。

本来、我々が納めた税金の使い道を決める以上は,何のためにお金を使うのか,その目的は我々が実現したい事柄か,その目的達成のために選択する手段が適切か,といった政策への評価が必要ですが,そもそも市民目線でいえばそれぞれの施策事業の目的と手法の整合性や,手法そのものの妥当性について,自治体内部でしっかりと議論されていたとしても,それがどこまで市民の皆さんに伝わっているでしょうか。
そのうえ,そもそもこういうバラマキ施策は他人のお金だと思っているものが自分の懐に入るという個人的な損得勘定のおかげで市民の政策への評価,判断を鈍らせ,その結果,市民は政策に対する評価を十分に行わず「自分がもらえるならいい」と短絡的な判断をしがちです。

政策は未来のありたい姿を実現することが目的です。
やること(to do)を約束するのではなく、未来のありたい姿(to be)とその道筋を示すこと、そしてその道筋を誠実に真摯にたどり、その姿勢を国民に見てもらうことが政治も行政にも求められているし、その政治や行政の姿勢、ありように市民が共感して政治家に投票し政府,自治体に納税する、そんな世の中にならなければと思います。

翻って、今、各自治体が講じている子育て支援や移住定住促進のための施策は、やること(to do)を約束するのではなく、未来のありたい姿(to be)とその道筋を示しているでしょうか。
前2回で述べたような、人口減少を食い止める策であるかのような混同で政策の目的と実現したい未来の姿をぼやかし、何を実現する手法なのかを市民と共通認識をもたずにその場限りのリップサービスを行ってはいないでしょうか。
 
バラマキは一度始めると簡単にはやめられません。
個人への給付になるとみんな下世話になり、「あの人がもらっているんだから私も」「毎年もらえるから」という意識が「もらって当然」になり,もし仮に金額が減ったり対象者が絞られたりということがあれば「なぜもらえなくなるのか」と怒り出します。
ばらまいたお金は誰のお金か,何が原資になっているのか,どういう施策目的で社会の何を変えようとしているのかという視点は抜け落ち、多くの人が「もらえて当然のものがもらえなくなる」という極めてプライベートな視点でこの給付見直しを評価してしまいます。
自分の財布に関わるお金の話になると,それが国や地方自治体の財布とどうつながっているのか,理解できなくなる,あるいは理解しようとしなくなる。
これが、自治体間競争には陥りやすい「バラマキ」の罠です。
この「バラマキ」の罠に陥らないように、政策の目的と効果を明確に論じ、必要最低限の効果的、効率的な施策として実施しなければいけないのですが「そこのけそこのけ少子化が通る」という横車っぷり。
多くの自治体で政策が目指すありたい姿とそれを実現する適切な手法との因果関係についての議論がすっ飛んでしまっているのではないでしょうか。
 
自治体間競争が陥りやすいこの罠は、将来にわたる持続可能性について懸念を持ち、少し冷静に議論しなければいけないと思っている良識ある首長でも陥ってしまう恐ろしいものです。
なぜなら、そこに「自治体間競争」という旗印が掲げられると、あっちがやるならうちも、こっちがやる前にうちが先に、という意識が住民にも議会にも芽生えてしまい、首長も議会や市民の「よそに負けていいのか」との声に押され、多少のリスクがあったとしてもそれに目をつむり、最低限でも横並び、あわよくば先陣を切ってトップを走りたいという欲望に囚われてしまうからです。
この横並び意識、他に抜きん出ようとする競争心こそが、注視すべきもう一つの観点です。
誰だって褒められたいし、勝って賞賛されたいものですが、そうやって互いの限界まで自治体同士でチキンレースを続けた先に待つのは、やめたくてもやめられない多額のバラマキ予算を経常的に抱え、細る税収との収支均衡が図られなくなって困窮する自治体破綻への道。
幅広い対象に多くのサービス、給付を始めることは、多くの市民の期待に応えることである以上、将来にわたってその仕組みを持続していくという決意とそれを裏付ける財源がなければ将来に必ず禍根を残すので、軽々しく実施してはならないし、実施に当たってはこれまで再三述べてきた通り、何のために行うのか、誰がどうなることが施策の成果なのか、その手段は適切で効果的なのかということをしっかり議論し、その議論の過程を検証できるよう後世に遺すことが必要不可欠だと私は思っています。
 
★自治体財政に関する講演、出張財政出前講座、『「対話」で変える公務員の仕事』に関する講演、その他講演・対談・執筆等(テーマは応相談)、個別相談・各種プロジェクトへの助言・参画等(テーマ、方法は応相談)について随時ご相談に応じています。
https://note.com/yumifumi69/n/ndcb55df1912a
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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