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バラマキがとまらない

一人ひとつだけって言ってるだろう!
足りなくなったら自分たちで買い足さなきゃいけないんだぞ。わかってるのか?
#ジブリで学ぶ自治体財政

行財政改革を進めていくうえで最大の難敵は「バラマキ」施策です。
幅広い対象者に対して法令で定められた義務的な社会保障とは別に自治体独自の施策として個人への給付や助成を行うもので,法定の扶助に加えて金額のかさ上げや対象者の拡大を行う“任意扶助”や,子育て支援,高齢者福祉施策などの目的で対象者に金品を給付したり活動を助成したりする施策はどの自治体にもたくさんあります。
また,歳出予算には出てきませんが,特定の対象者に対して施設の使用料や公共料金を減免する施策も本来支払うべき人の経済的負担を減じてその分を市民全体の税金で負担しているという意味で対象者に現金を給付する施策と同列でしょう。
この「バラマキ」は財政運営を担当する者として本当に頭が痛いです。

「バラマキ」の厄介なのはその特徴である対象の広さと給付の常態化です。
対象の広さ,給付の常態化は,行政施策として致命的な欠陥となる「施策効果の見えづらさ」をもたらします。
対象者を限定し真に困窮した方を支援するのであれば,あるいは本当に何らかの行動変容を促すべき対象者に働きかけるということであれば,施策の目的を達成したことがわかりやすいのですが,対象者が広がれば広がるほどその効果の発現は広く薄くなり,その施策に起因する効果としては対象者個人が喜ぶということ以外に施策として目指す何かの指標を押し上げたり社会全体の行動変容を促したりする効果は見えにくくなります。
また給付が常態化すれば,それは所与のもの,固定された社会条件となり,それが長年続けばその施策がもたらす効果はいよいよ測定できなくなります。
施設使用料や公共料金の減免になるともっと悲惨です。
対象者に現金が入ってくるわけでもなく,対象者個人の財布を傷めるわけでもないので,その施策の意味するところを正しく理解し,その恩恵を感謝できる人はほとんどいないのではないかと思ってしまいます。

このような「バラマキ」施策は対象者が幅広いため導入については広く賛同が得られやすい一方,効果が見られないなどの理由で見直しを掲げると多くの対象者が反対するため,多数決を前提とした議論では見直し派には勝ち目がありません。
さらに,対象が広いため個人当たりの給付は少額でも全体では大変巨額で自治体の財政負担は莫大なものとなりますが、給付の見直しを論じるうえで抵抗感を弱めるために一人ひとりの見直し額を少額に抑え、見直しが対象者の生活を大きく揺るがすものとならないように配慮したとしても,一度手にした既得権を容易に手放す人はそう多くありません。
最近,国が全国民に10万円配るという施策がありましたが,無条件で国民全員に配るというものを私は要りませんと反対する人は少数でしょう。
しかし,その給付が毎年続いた場合に,ある年度から給付額が見直されて半額の5万円となったらどうでしょう。
給付額が5万円減ったからと言ってそれが原因で死ぬ人はいないはずですが,国にとっては5万円×1億人で5兆円の経費節減になりますので,この見直しはぜひ実現したい。
ところが,いきなり5万円も減らすのか,半額とは何事かと莚旗が立ち,大反対運動が起こる,そんな風景をイメージできると思います。

個人への給付になるとなぜみんな下世話になるのでしょう。
「あの人がもらっているんだから私も」「毎年もらえるから」という意識が「もらって当然」になり,もし仮に金額が減ったり対象者が絞られたりということがあれば「なぜもらえなくなるのか」と怒り出します。
ばらまいたお金は誰のお金か,何が原資になっているのか,どういう施策目的で社会の何を変えようとしているのかという視点は抜け落ち、多くの人が「もらえて当然のものがもらえなくなる」という極めてプライベートな視点でこの給付見直しを評価してしまいます。
自分の財布に関わるお金の話になると,それが国や地方自治体の財布とどうつながっているのか,理解できなくなる,あるいは理解しようとしなくなるのはなぜなのでしょう。

それはきっと,国や自治体の財布の中に入っているお金が「他人のお金」だと思っているからなのだと思います。
他人のお金が自分の財布に入ってくるのは大歓迎だけど,税金として自分の金が他人にとられるのはイヤ。そんな感じでしょうね。
けど,社会の仕組みをよく考えてください。
自分たちが納めた税金は国や地方自治体のものになるのではなく国や地方自治体が一時的に預かっているだけで,それを全体で管理し再配分して社会を動かしている。
個人への給付はその一部であって,国や地方自治体に集まっているお金も「自分たちのお金」なのです。
自分たちが国や地方自治体からたくさんのお金を欲しがれば,結局自分たちがそのお金を負担しなければいけない。
おなかをすかせて自分の足を食べるタコのようなものなのです。

今,国も地方自治体も非常に厳しい財政状況で,今後の人口減少や少子高齢化に対応するためには既存施策を抜本的に見直していかなければ,新たな政策課題に対応することはおろか,既存施策を維持していくことも困難な状況が目前に迫っています。
そんな状況下で,自分たちに配られているお金を減らすことに異を唱えるというのは、その給付の代わりに見直される何らかの施策事業が対象とする行政分野のサービスを落とすことを意味します。
自分への給付も他の行政分野へのサービスもそれぞれある目的を持った施策事業ですから、そこに「自分たちのお金」をどれだけ投じるかはその効果をいかに自分たちの住む社会全体で享受するかを基準とすべきであって、自分のフトコロにいくら入るかという基準で判断すべきではないでしょう。

そう言ってもむなしいのは、個人への給付のために過去の貯金を取り崩したり将来の市民のための貯金を先食いしたりする自治体が現れ、それを財政当局も議会も抑えきれないこと。
まあ自治体単位で見れば、国からの財源に依存して国があれだけ赤字を抱え、それを埋めるための借金を繰り返していてもまだ国からの財源を求めているわけですから、自治体としての財政危機を理由に個人給付の見直しを言い出せる立場ではないという自覚があって見直しを言い出しにくいということなのかもしれませんが。

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