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愚痴から始まるエトセトラ

「対話」の前に「雑談」を置く,と昨日書きましたが,では「対話」と「雑談」,どこがどう違うのでしょう。

「雑談」は他愛もない話です。
天気の話,芸能の話,スポーツの話など,毒にも薬にもならないその場限りの言葉のキャッチボール。
別に相手が真剣に聞いてくれなくてもいいし,自分も真面目に聴く必要も,あるいはその話題をわざわざ選び,真面目に話す必要もないものです。
もちろん,雑談として成立する程度には真面目に話題を選ぶ必要はありますし,その雑談が互いの心理的な距離を近づける効果はありますが。

「対話」は「雑談」に比べると,少し自分の内面を開き,相手の言葉を真摯に受け止めるという姿勢がお互いに必要になります。
話の内容に一定の主張があり,その主張を否定も断定もせずに尊重し傾聴する。
意味のない「雑談」と,物事を決めるための「議論」とのちょうど中間点に「対話」があるのです。
「対話」は,お互いの内面を開示する必要がありますので,相手にそれを許容してもらえるという心理的安全性が必要になります。
ここで話したことで誰かから攻撃されたり,責任を取らされたりすることはない,という担保がなければなかなか自分の内面を率直に開示することは難しいでしょう。

私はオフサイトミーティング「明日晴れるかな」で200回を数える対話の場を経験してきましたが,その中で「今日はいい対話だった」と思える日には必ず共通の現象があります。
それは「愚痴で盛り上がる」ことです。
職場の愚痴,家庭の愚痴,そのほかいろんな愚痴がありますが,皆さん愚痴ってどこでも誰とでも語ることができますか?
たぶんある程度親しく,ある程度自分のことを理解してくれている相手方に対し,愚痴を言うことで自分の安全を脅かされることがないような場面でしか話さないのではないでしょうか。
実はこの愚痴を言える間柄,場面こそが「対話」ができる条件が整った場なのです。

「明日晴れるかな」で,誰かの愚痴が始まると高揚感が湧いてきます。
この人はこの場を心理的な安全性が高い場として自己開示してくれている。
その場にいる人みんながその愚痴を拝聴し,否定や断定,言い争いをせずにいろんな意見を述べ,それぞれがそれぞれの立場,主張を認め合っている。
これこそが「対話」だよなあ,と思うとゾクゾクしてくるのです。

残念ながら,どうすれば「雑談」しかできない間柄から「愚痴」を言い合える仲に発展していけるのかはまだ具体的な方法論を確立できていません。
それは,昨日書いた「議論」の前に「対話」を置くということについても同じです。
そうしたほうがいいってことは理屈ではわかったけど,それって具体的にはどういう方法をとればいいの?
「対話」の場に出てこない人と「議論」するにあたり,まず「対話」から始めるって現実的に難しくない?
そんな疑問がわいてきます。

その答えは,こうすればいよいというノウハウ的な処方箋ではなく,一人ひとりが「対話」とはなんぞや,その目的や方法,またその効用を正しく理解し,その価値を理解して実践できるようになるということしかないのかもしれません。
「雑談」にはほとんど何の技術も必要ありません。
「議論」は,社会のルールとして一定の技術を皆さん身に着けています。
しかし,「対話」については学習する機会も少なく,その独特の作法やその底流に流れる精神が十分に理解できていない方が多いので,「対話」したくてもできない,どうしたらいいのかわからない,結局のところ「対話」にならない,ということなのでしょう。

私も昔から「対話」ができたわけではありません。
10数年前,東京財団の市区町村職員派遣研修プログラムで米国・ポートランドで学ぶまでは「対話」という言葉を自分で使うこともほとんどありませんでした。
そんな私が「対話」に目覚め,禁酒令という前代未聞の事態に対して職場や立場を離れて自由気ままに「愚痴」を語り合える場づくりをはじめたことで局面が変わりました。
その中で「その場にいるすべての人が適任者」「否定も断定もしない」といったグラウンドルールや,その場にいる人が対話しやすい雰囲気づくりの手法としてのファシリテーションなどを体得していくことになり,あちこちで「対話」を実践することができるようになってきたことは,これまでに書いてきたとおりです。
結局は,「愚痴」から始まったのです。
その経験を通して体感し,体得していったのが全てなんです。

この記事を読んで,「対話」が大事なのはわかった,必要なのはわかったけど,そのやり方がわからないという方は,私のやり方で恐縮ですが,まず誰かと「愚痴」を語る場を創ってみてください。
そこでうまく盛り上がれるように,今まで自分が居心地のよかった場所のことを思い出しながら,自分なりに対話しやすい雰囲気づくりをしてみてください。
そうして愚痴を言い合い,腹を割って話し合える仲間ができ,その輪が少しずつ広がって「愚痴(対話)っていいよね」という人が増えていくことで,「対話」を理解し,実践できる人が増え,「対話」の場が作りやすくなる。
「対話」を理解し実践する人が増えれば,自然と「雑談」から「対話」への移行,あるいは「議論」の前に「対話」を置くことも難しくなくなるはず。
そうして対話中心のコミュニケーションが当たり前になっていけば,世の中が少しずつ変わっていくと私は信じています。

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