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願わなければ叶わない

どうしてそんなに頑なに反対するの
折り合えるところだけでも合意して
先に進もうとしないのはなぜなの
メンツとか手柄とか主導権の駆け引きだとか
そんなの市民の幸せに関係ないじゃない
#ジブリで学ぶ自治体財政

この場で私が再三繰り返し述べている「自治体運営の基礎を『対話』に置くべき」という理想論,実際にはなかなか難しいですよね,という声をよく聴きます。
今,全国の自治体で繰り広げられている予算編成冬の陣で,財政課と現場で互いの立場を尊重し,否定も断定もしないで互いの意見主張を聴きあう「対話」なんてできるはずがないと多くの人が思っていることでしょう。
ましてや,これまでこの場で取りざたしてきた国や自治体の運営に関する様々な立場,意見の相違を埋めるのに「対話」はそこまで万能なのか、と首をかしげている方もおられることでしょう。
「対立を対話で乗り越える」
私がこれまで出張財政出前講座で繰り返し述べてきたフレーズですが,「対立」は本当に「対話」で乗り越えられるのでしょうか。

「対立」は,立場や意見の違いから生まれます。
立場や意見の相違は,「対話」による情報の共有,立場の共有,ビジョンの共有によって,良質な議論へと導かれ,互いに納得感のある合意,結論に至ることが可能だと拙著『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』で書いていますが,これはあくまでも立場や意見の相違から生じる「対立」を未然に防ぎ,あるいはすでに起こった対立を解消して,双方が歩み寄った結論に至ろうとする気持ちが双方にある場合の話です。
互いの立場や意見の違いを埋めようとせずに自分が正しいとばかり主張し,相手方の主張を否定する言動が繰り返されれば,やがてその議論は論争になり,感情的にも相手方の主張を聞き入れることができなくなる。
こうなると確かに「対立」を「対話」で乗り越えていくことは困難です。

「対立」はあくまでも立場や意見が違う状態を指すものであり,そこに最初から「対立しよう」という意図はないはずですが,ひとたび対立が始まれば,その対立状態について当事者の中で意図が働いてくることがあり,それが対立の重症化をもたらします。
このような「対立」の重症化を防ぐために心掛けたいことが三つあります。
一つ目は「対立」を手段として用いない(用いさせない)こと。
二つ目は「対立」そのものを目的化しない(させない)こと
三つ目は「対立」した状態を長引かせないことです。

対立した状態を解消するために,双方の立場や意見を調整し,折り合える点を探ることは問題の解決のために必要なことですが,その調整の過程で自分に有利な結論を導こうと条件交渉を始める人が現れます。
条件交渉そのものは調整,妥協,合意に至るために必要なプロセスですが,相手方の弱みに付け込みより高い交渉成果を得るための手段として対立を利用するということになれば話は別。
対話の大事な要素である相手の立場や意見を尊重するという姿勢が失われ,自らを利することばかり考えては,相手方の感情も害しますし,仮に結論に至ったとしても双方に納得感が得られず,導いた結論に従おうという感情の持続に懸念があります。

この対立の手段化が高じて現れるのが対立の目的化です。
悲しいことに世の中には「反対のための反対」「議論のための議論」を繰り返し,「対立」した状態を維持することで自分の存在意義を顕示しようとする人がいます。
双方が歩み寄り合意に至ることで問題が解決するにも関わらず,合意到達が自らのアイデンティティの喪失につながると察知し,故意に歩み寄りを頑なに拒み,相手方の些細なほころびを激しく攻撃する姿勢は,対立を固定化し,合意を遠のかせます。
感情的な対立や自身の振り上げたこぶしを下せない高邁な自尊心から,一度言い出した反対意見を取り下げることができなくなるということもあります。
いずれにせよ,対立を解消し結論に至ることよりも,自分自身の立場や感情を優先させる,自己中心的な行動にすぎません。

この二つに共通するのは,対立を解消するという意識の希薄化です。
対立を解消することで得られる結論が導く現状からの変化よりも,対立が存在する現状を肯定するのはなぜでしょうか。
それは,対立が解消された未来をきちんと展望できていない,対立が解消されないこと,対立が固定化することがもたらすデメリットを理解できていないことに加え,対立している現状に自らの身を置くことについて一定の理解ができており,その現状がまんざらでもないということなのだと思います。
そういった「対立への安住」が始まるととても厄介です。
本来,対立を解消したい,対話によってその糸口を見出したいという人たちまで巻き込んで,対立の固定化,長期化が始まってしまうのです。

現実的に考えれば、解決すべき課題に対する当事者の目的意識を高め、この問題を解決するために自分の時間や労力を費やさなければならないと当事者たち本人が考える動機づけが必要ですが,実は「対立を対話で乗り越える」ことの難しさは,その動機付けの維持の難しさにあります。
たとえ初期においては対立の解消,合意形成に意欲を燃やしていたとしても,対立軸が明確であればあるほどその歩み寄りは困難で,労力を費やしたとしてもその解消が見通せないという諦めのなかで多くの人はその動機付けを失ってしまい,その絶望の中で「しかたがない」と感覚を麻痺させてしまうか,前述のように対立の中に「安住」を求めてしまうか,いずれにせよ対立解消の道は断たれてしまいます。

私自身も財政課に係長として在籍した当時、現場と財政課との対立構造に悩まされ、情報共有、相互理解、互いを信頼しあう関係性がないことに絶望を味わっていました。
5年経って課長として舞い戻ってきたあと、徐々に現場と財政課の「対話」的関係が構築されていったわけですが、振り返ってみると最初から議論の前に「対話」を置く、だとか「対話」によって「情報の共有」と「立場の共有」が実現できる、だとか能書きを垂れていたわけではありません。
当時は、厳しい財政状況を職員一人ひとりが理解し、財政健全化を自分ごととして考え、自律的に行動してほしいという気持ちだけで、ある意味衝動的に動いていたことを思い出します。
財政課長自らが立場の鎧を脱いで各職場に出向くという前例のない行動に私を駆り立てたのは、財政課が憎まれるのは必要悪だと割り切ることもできず,私ひとりでこの状況を変えられるはずがないという無力感と、それでもこの状況をなんとかしなければいけないという責任感だけだったのです。

「対立を対話で乗り越える」ことが可能だと強く信じる人がいなければ、「対話」の場が開かれることはありません。
私たち自治体職員が職場で、仕事で抱える対立を解く「対話」の場を設けるための鍵は、私たち自身がその対立を解決したいと考え、そのために当事者同士が問題の本質を知り,互いの立場や意見をわかりあってほしいとどれだけ強く願うか。
その願いを対立に関係する多くの人と共有し,同じ願いを持った人の思いを束ねることで,対立の解消を阻害する諦めや安住に対抗していけるだけの力を結集していけるかどうかにかかっているのです。
しかしこの困難な使命に私たち公務員を駆り立てる原動力はいったい何なのでしょうね。

★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
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