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未来との対話

これだけ大事な政策判断をしているのに
根拠や議論の過程が残っていないわけがない
単に整理整頓ができてないのか
それとも都合の悪い誰かが廃棄したのか
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
ここ数回、私たちが未来に対して負っている責任について書き連ねてきました。
前回は、全体の奉仕者である公務員こそが未来の市民に成り代わって声なき声を述べ、彼らの権利を擁護する義務を負うべきだと述べました。

 そんな中、胸にグサリと突き刺さるような記事を目にしました。
能登地震から3週間が経過しながら未だに復旧が進まない惨状の原因への言及をまずはご一読ください。

道路復旧が進まない要因として、能登半島の立地や地形だけでなく、事前に道路啓開(けいかい)計画が未策定であったことが指摘されています。
大規模災害が発生して多くの人命が危険にさらされている時、救助活動として真っ先に行われる“道路啓開”。
寸断されてしまった道路を切り開き、救助隊を現地に送り込むことを目的とする道路啓開の指揮をとるのは国土交通省、最前線で任務につくのは、主に民間の土建業者、とあります。
能登半島ではこの“道路啓開計画”が未策定だったというのです。
その理由や未策定だったことによる影響については記事を読んでいただければと思いますが、私はこの記事を読んで改めて「未来への責任」の重さを感じずにはいられませんでした。
国民、市民は過去の政策決定に基づいて運営されているまちに暮らしています。
行政の作為も不作為もすべて現在および将来の国民、市民に何らかの影響を与えることになっているのです。
 
私たち公務員が未来への責任を果たすうえで行うべきことはなんでしょう。
シミュレーションを重ねて的中率の高い未来予想図を描くことでしょうか。
それともありとあらゆる未来の選択肢を想定し、そのどのパターンになったとしても対応できる安全弁を講じておくことでしょうか。
完璧な未来予想も万全なリスクヘッジも、できればそれに越したことはありませんが私たちは神ではなく、またすべての対策を講じることができるほど無尽蔵な資源を持っているわけでもありません。
私たちは「可能な限り」未来を予想し、その想定の範囲内で優先順位を定めて「可能な限り」対策を講じるしかないのです。
もちろん、その想定の精度を高めることは必要ですし、その精度に応じて対策の精緻化も必要ですが、人間のやることですから限界があることについて、未来の市民に理解してもらうことが必要になってきます。
 
これまで例示として取り上げてきた事案を思い出してください。
現在の市民の利益のために過去から積み立ててきた基金を取り崩し、未来には残さないで費消してしまうこと。
税収が減るリスクがわかっていながら支出削減の方策を検討せず収支均衡が図られなくなってしまうこと。
人口減少で公務員の担い手が不足するのに業務の削減を行わないで公務職場のブラック化が進み、ますます志望者が減ってしまうこと
そして今回取り上げた、いつか起こる災害の発災時に直ちに人命救助ができ、その後の復旧作業にも役立つ道路啓開について、人員不足、業務多忙を理由に計画策定を先送りしたこと。
未来の市民が過去の我々が下した政策決定を見たときにどう思うでしょうか。
 
なぜこのようなことを政策決定したのか。
どうして予想される事象への対策を講じなかったのか。
どのような想定に基づき、どのような議論を経て、未来の市民の権利を擁護し、負担を回避しようとしたのか。
その議論の際に、現在の市民と将来の市民の権利を同等に扱おうという意思があったのか。
未来の市民は現在の政策判断、意思決定の現場に居合わせることはできませんが、過去にさかのぼってその過程を検証することはできます。
その検証の過程で、現在の我々が行っている日々の行政運営や政策判断が未来からの視点で見ても「妥当」と判断できるものであれば、その判断の前提とされた未来予想を上回る事態が起こったとしても、あるいは対策が講じられていなかったとしても「仕方がなかった」と納得することができます。
未来への責任を負う我々が、真摯にその責務と向き合い、可能な限りその遂行に尽力していることが伝われば、未来の市民から現在の我々の判断を振り返ってみたときに、未来が見えない中で可能な限りの想定を行い、対策を講じたという我々の思いを受け止め、理解、共感してもらえるのではないかと思うのです。
 
ということで私たち公務員が行うべきことは三つあります。
まずは未来の市民の立場に立ち、未来の市民に成り代わって現在の意思決定に参画し、未来の市民の権利擁護、負担回避に努めるという基本姿勢を貫くこと。
次に、その基本姿勢をベースとして、未来の市民が見ているであろう世界を可能な限り予測し、考えられる変化への対応について必要な対策を講じること。
最後に、その決定に至る過程を可能な限り文書で残し、未来の市民が後世に検証できるようにすることです。
三つのうち、未来を予想してその対策を講じる、という部分についてはある程度やっていると思いますが、大事なのは「未来の市民の立場に立つ」という基本姿勢と、検証可能な記録を残すという実務。
私たちはこの二つによって、未来の市民との「対話」を行うことになるのです。
 
「対話」の成立に必要となる重要な構成要素は「開く」と「許す」です。
「開く」は自分の持っている情報や内心を開示すること。
「許す」は相手の立場,見解をありのままに受け入れること。
未来の市民との「対話」は、まず現在の世界に生きる我々が未来の市民の立場に立って物事を考え、議論することが出発点であり、これは未来の市民の立場、見解をありのまま「許す」ことから始まります。
しかし、それと同じように未来の市民が我々の立場、見解を許容し、納得できるよう、我々が描いた未来予想やそれを描く過程で考えたこと、そしてどういう優先順位付けでこの判断に至ったのかということについてきちんと「開く」ことも同時に必要で、その両輪が相まって未来の市民からの理解が深まり、対話による相互理解、共感が生まれると私は思います。
また、未来で検証されることを前提とした議論を現在行うことで、より未来の市民に成り代わるという基本姿勢をきちんと演じ切ろうという自覚も強まるのではないかと思うのですが、皆さんいかがでしょうか。
 
未来との対話はなにも公務員の専売特許ではなく、現代の日々を生き、未来に向かって何らかの痕跡を残していくすべての国民、市民が行うべきものではありますが、日々を生きることに精いっぱいでなかなか未来の市民のことまで気が回らないというのが実情でしょう。
未来の市民のことだけでなく、現在生きているこの世の中のことでさえ、自分以外の他者のことまで気が回らない、他者の立場に思いをはせ、寄り添うことが難しい人たちがたくさんいます。
そんな世の中で他者の存在をありのまま認め、自らの立場を明かしながら互いの接点を見つけ、理解、共感しながら合意形成を図り、一つの道を選んでいくことができる世の中を創るうえでも、私たち公務員が果たす役割はとても重要です。
 
なぜなら、国や地方自治体の意思決定に向かう対話や議論の場にすべての国民、市民が居合わせることはできませんので、我々公務員や選挙で選ばれた議員が代理することになります。
この代理による対話、議論において、国民、市民の置かれた多様な立場、意見を尊重しつつその調和を図り、そこで共有できた目標に基づき議論を進め、意思決定をおこなっていくことになっています。
そこで、対話の場に身を置く議員や我々公務員が「対話」の本質を理解し、国民、市民を代理する自分自身が多様な立場や見解があることを把握し、そのそれぞれを先入観なく許容し、尊重し、対話の俎上に乗せる姿勢そのものについて正しく理解し、そのように振る舞えなければいけない、というのが私の考えです。

 そこにいる現在の市民同士で「対話」できる世の中になるなかで、多様な立場を尊重できる市民が育ち、この場にいない未来の市民にも思いを馳せることができるようになる。
そんな世の中になるためにも、対話の鍵を握る私たち公務員がひと踏ん張りする必要がある。私はそう考えています。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
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