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その意見は誰の代理

いくら市長の人気があろうとも
我々議会の了承がなければ市長は何もできないのさ
少なくとも我が会派が多数派である間はね
#ジブリで学ぶ自治体財政

令和3年度当初予算案が全国の市町村議会で審議されていますが、毎年この時期に必ずどこかの自治体であるのが「予算議案の否決」です。
首長が進める施策に関する経費の予算計上について議会の理解が得られず、予算議案そのものが否決されてしまうということは議決機関である議会の性格上必ず起こりうるものです。
補正予算案の否決であれば、そのタイミングでその施策経費を追加することの当否が議論され、追加計上することが認められなかったということですから、議論された施策以外には特に影響がないのですが、当初予算の場合は厄介です。

当初予算は、自治体の運営に係る1年間のすべての収入支出がひとつの予算案としてまとめられており、これがひとつの議案として審議されます。
しかし、ある施策の当否を巡って部分的に議会の承認が得られない場合に、当初予算案という議案そのものを否決されてしまうと、本来であれば争いのないはずの、毎年度通常行われている事務事業の執行にかかる予算までがすべて認められなかったということになり、そのまま4月1日を迎えるとすべての事務が止まってしまうという大変なことが起こります。
そうならないために、再議を申し入れたり、任意の修正案や暫定予算案を提出したりして再び議会の審議に付し、3月31日までに何らかの予算案を可決することで各自治体とも新年度に役所が動かないという最悪の事態は回避していますが、こんなドタバタの事態が全国で起きるたびに、財政課に在籍していた身としては「減額修正してくれたらいいのに」といつも思います。

地方自治法第97条第2項では「議会は、予算について、増額してこれを議決することを妨げない。但し、普通地方公共団体の長の予算の提出の権限を侵すことはできない。」と規定されており、首長の持つ予算提出権限を侵さない範囲であれば、首長が提出した予算を増額あるいは減額して議決することが可能です。
予算案の増額修正については、どこまでが首長の予算編成権限を侵すものかという統一的基準がなくあまり実例もありませんが、減額修正については法令上の制限は特にありません。
もし何か一つの施策や事務事業の経費を計上することに疑義があるのであれば、議会の権限でその部分の歳出とそれに見合う歳入を減額修正して議決すれば、実施について争いのない他の事務事業への影響はなく、再議や議案の修正を行う必要もありません。
また、市民にとっても何が議会で議論されているかの争点かが明らかになり、その争点に対する各議員や会派の賛否もわかりやすいものになります。
それなのに、なぜ争う必要のない他の事務事業の経費まで含めて予算案全体を「否決」してしまうのでしょうか。

たぶん、減額修正という道もあるのに否決という道を選んだ議会は、首長の提案する予算案の一部について承認しかねるということではなく、議会が承認しかねる部分を含んだ予算案を提案したその姿勢について疑義を投げかけているのだろうと思います。
「十分な説明を受けていない」「聞いていた話と違う」「結論が拙速で強引だ」など、議会で十分な審議を尽くせない環境下で提案をし、結論を得ようとすることに対しての心理的反発、提案者である首長への信頼感の低下が背景にあります。
中には、首長の専横的な自治体運営に議会が業を煮やし「お灸をすえる」というようなことや、あるいは現職に競り勝った新人首長が議会の旧来勢力と対立し、議会がその力を誇示するためにあえて新人首長の目玉施策に関する予算を否決するというようなこともあり、こうなると、議会が「議論の場」の名を借りて感情的に私憤を晴らす場になってしまうおそれがあることを私は危惧します。

以前、「対話の鍵を握るのは」で、私は議会についてこう書きました。
議会は何のために置かれているのか。
それは、市民の人数が増え、直接話し合って物事を決めていくことが難しいので、自分の代わりとなる者をあらかじめ選び、その者に意思決定のプロセスを代理させるため。(中略)
議会は議論の場、物事を最終的に決定する場ですが、その場に居合わせることができない多くの有権者にとっては、議員が議論していることがあたかも自分が議論しているかのように感じられる、自分の分身の役割を果たしてくれれば。

議会の予算案否決についても、議員が市民の代理人として議論しているという趣旨を踏まえる必要があるのではないでしょうか。
議会で議員が議案の賛否を表明する際には、それは自分に票を投じた有権者の意見を代理しているのか、その場にもし有権者が居合わせ、直接意思が表明できたとしたら同じ賛否表明になるのか、その賛否の根拠は議員が考える根拠と同じか、ということについて、議員の皆さんは謙虚に向き合ってほしいと思います。
当初予算への賛否についても、減額修正でなく否決の道を選ぶ理由が首長の政治姿勢への心理的反発というのはあり得ることです。
政策の適切性について理屈で論じるだけでなく、他人の心情への配慮の有無や誠実さに裏打ちされる信頼感など、その人のもつ人間的な魅力で賛否を決めることもあるでしょう。
ただ、それは議員本人の心情によるのではなく、議員が代理している有権者の心情によるべきだと私は思うのです。

予算案が議会で否決され、再議や修正議案の審議で新たな予算案が議会で可決された場合に、その過程で、誰と誰の間でどのような意見の相違があって、それがどういう理由で合意に至ったのかが、市民にきちんと見えているでしょうか。
議会は、予算案全体を否決した以上は、減額修正という方法での争点明確化を行わずに予算案全体を否決した理由が明らかにすべきであり、そこで理由とされた首長への疑念や不信がどう払拭されて改めて可決に至ったのか、を市民に分かりやすく伝えることが必要です。
それは、この過程で議会が代理して表明したはずの、市民が抱いた首長への疑念や不信の払拭に必要なプロセスであり、それが市民に伝わらないのであれば、一連の過程は、政策論議の名を借り他の施策事業の予算を人質にした、有権者不在の権力闘争と市民に受け止められても仕方がないと思います。
もちろん、否決されるような予算案を提案した首長も、否決は議員の私憤によるものだと切り捨てないで、その背後にある市民からの疑念や不信に誠実に向き合うことが必要なことは言うまでもありませんが。

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