財政課をぶっ潰す
1年前にfacebook に投稿した記事をご紹介します。
私がなぜ出張財政出前講座の活動に血道を上げるのか、本にも書いていますが改めて。
【2019年7月15日fb投稿】
出張財政出前講座の長野県初上陸2daysの余韻に浸りながら雑事をこなした3連休最終日。
長野初開催を熱望し、開催に尽力いただいた皆さんの熱量にも圧倒され、その熱量に応えようと120%の完全燃焼で二日間のステージをこなしたが、その私の渾身の立ち居振る舞いを見て「なぜ、この活動をこんなにも熱を帯びて続けていられるのか」という問いを非常に多くの方から受けることとなった。
財政の世界を卒業してもう3年。
出張財政出前講座で全国を飛び回るようになってもう5年めに入り、すでに111回のステージをこなしたわけだが、いったい何の衝動が自分を突き動かしているのか、自分でも不思議に思うときがある。
一つ確実に言えるのは、こうして今もなお年間で30回を超える出講依頼があり、求められる場所に出向いていけば必ずその場で演じる舞台で大喝采の拍手を浴びることができる、その恍惚が手放せない魔力となり、調子に乗っているのは間違いない(笑)
昨年末に講座の内容を出版したことでまずますその魔力は強まる一方で、この先自分の身に何が起こるのか不安ですらある(^_^メ)
しかしその一方で、今回何度も投げかけられたこの問いのおかげで、自分がこの活動に憑りつかれているのは、本にも書いたが「怨念」であることを改めて自覚することになった。
「財政課をぶっ潰す」
この怨念がすべてのエネルギーの源泉であることは間違いない。
全国の自治体で毎年繰り返し繰り広げられている財政課と予算要求課との果てしない死闘。
「要るものは要る」と「ない袖は振れない」という決して交わることのない平行線の先にあるのは疲弊と不信。強烈なストレスに体や心を崩す者も少なくはない。
この果てしない戦いの末に出来上がった「予算」は本当に市民に喜ばれるものになっているのか。この戦いにエネルギーを費やすことは本当に市民のためになっているのか。
そんな自問自答の中「もっと財政課が市民の目線に近い現場と同じ方向を向いて予算を編成することができないだろうか」そう考えた自分がたどり着いたのが「対話による相互理解と責任分担に基づく組織の自律経営」であった。
辛く苦しい5年間の財政係長時代を経て「二度と戻ってきたくない」と逃げ出すように卒業した際に書き残した「査定なき財政課を目指す」という遺言。
この遺言をまさか自分が実現することになるとは思わなかったが、その契機となったのが11年前、自分を普通の公務員から今のような一風変わった存在に脱皮させてくれた東京財団の市区町村職員派遣研修プログラムであった。
早稲田大学の大学院で3カ月半公共経営を学び、アメリカ・ポートランドの50日間滞在し、アメリカの政治や市民自治の仕組みを学ぶとともに、プロジェクトマネジメント、異文化コミュニケーションやファシリテーションなど、大変多岐にわたる知識やスキルを学ぶ機会をいただいた。
その半年間で、自分が得た気づき、学び、そして熱い志を持った仲間を得たことが自分の人生を変えたことを、今回の旅で思い出し、あのポートランドの熱い夏を独り思い出していた。
詳しくは別稿に譲るが、あの夏がなければ今の自分はいなかった。
すべての原点であるあの夏、抱いた「財政課をぶっ潰したい」という思い、「もうこれ以上、予算編成で不幸になる職員を生み出したくない」という怨念を胸に、また明日からも歩んで行こうと思う。
あの夏、自分に「対話」という魔法の言葉を初めて自分に授けてくれた、ポートランドでの学びの場に改めて深く感謝したい。
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