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新しいことはしたくない

商品券発行だから経済対策だってこちらに持ち込まれても困ります
あくまでも増税に伴う低所得者の負担軽減なのですから
福祉施策としてそちらが担当するのが筋でしょう
#ジブリで学ぶ自治体財政

前回,自治体職員は組織内での職員同士、組織同士での対話も苦手で,その結果縦割り,たらいまわしの弊害が起こるという話を書きました。
その理由は,間違いたくない,間違いの責任を取りたくない,という市民への怖れであると仮説を立てましたが,少々論理が乱暴でしたかね。
慢性的な人手不足が原因とのご指摘もいただきましたが,確かにそういう面はあるでしょう。
人員の余裕がなければ,新しい業務の必要性は感じていたとしてもそこまで手が回らないとしり込みしてしまう感覚はよくわかります。
しかし,そういう物理的制約とは別に,そもそも新しいものを敬遠する保守的な風潮はありますので,今日はその辺を押さえてみましょう。

若手が職場内で業務改善を提案しても,今までと同じでいいじゃないかと古参に押し切られるなんてことザラにありますし,どこの所管かわからない案件がいつまでたってもたらいまわしされて未処理なんてこともままある話です。
単に決まった業務以外は面倒だという話もあるかもしれません。
新しいことに挑戦したって時間をとられるだけで,それで何か評価され給料が上がるわけでもないし,と考えるのは,前回も書きましたがその評価軸が組織内部になければモチベーションが上がらないというのはわかります。
しかし,自治体職員はそんなに怠惰なめんどくさがり屋ばかりではありません。
使命感を持って与えられた仕事をきっちりこなす人のほうが多い印象です。
それなのにどうしてそんな真面目で能力の高い人たちが,新しい仕事を敬遠するのでしょう。

昨日の投稿のあとで気が付いたことですが,この自治体職員の生真面目さが新たな業務を敬遠する原因ではないかと思うのです。
以前,研修で財政制度について民間人や大学生と議論したときに,財政課で受け取る予算要求が多すぎてその査定が大変という話をしたら,なぜみんな給料も増えないのにそんなに予算を獲得して仕事がしたいんだと怪訝そうな顔で尋ねられたことがあります。
そうです。例え給料がびた一文増えなくても,自分たちの業務範囲であればもっと予算を獲得してもっと多くの仕事をしたい(そのための人員も獲得することが前提ですが)と考える自治体職員はたくさんいます。
この感覚と,新しい仕事が嫌だという感覚との差はどこにあるのでしょうか。

それは「自分自身がそれを必要だと考えているか」ということに尽きます。
使命感が強くて真面目な自治体職員の多くは,自分がその必要性を理解し納得できればその業務遂行に注力することを使命と感じることができます。
しかし,意に沿わないものであれば「それは本当に必要なのか」「うちの職場で人員を割いてまでやる必要があるのか」ととたんに抵抗勢力へと変わります。
議会からの質問への回答,市民からの苦情への対応,国が創設した新しい施策の実施体制の整備など,既存の業務分担で整理できない,組織の所掌事務の隙間に落ちる案件はみんなこのパターンで「誰がやるのか問題」が発生します。
昨日,私はこの問題が,間違いたくない,間違った責任を取らされたくない,という市民への怖れに由来すると結論付けましたが,市民からの怖れがなくても,納得できないことはしたくない,という強い自我が原因で,唯々諾々と指示どおりに動くことを潔しとしないということが往々にしてあることに気づきました。

しかし,自分の意の沿わない仕事なんてものは自治体職員だろうと民間だろうとあるわけで,自治体職員だけが納得できない仕事が多いのか,あるいは納得できないからしないと強情を張れる特別な事情があるのか,と考えてみました。
まず,納得のいかない仕事が多いか少ないか,でいうと,私は民間の仕事を経験したことがないのでよくわかりませんが,どっこいどっこいでしょう。
ただ,納得がいくかどうかの判断軸が民間の場合「利益につながるか」というわかりやすい基準であるのに対し,行政組織の場合,何がより優先されるべきなのかが数値で測れないあいまいなものが多く,また業務が多岐にわたり担う政策が異なる部署ごとに目指す目標もばらつきがあることから,組織間,職員間でお互いに共通認識を持たなければ組織全体として何が大事かという合意を得ることが難しい場合があります。

そして,自治体職員特有の身分保障がこの合意形成を妨げます。
指示に従わなくても辞めさせられるわけではなく,業務の所管を巡る争いの渦中にあっても,少なくともその争いは自分の職務には忠実なわけで,「うちじゃない」と言い張って争いがこじれてもそれは組織にとって必ずしも駆逐されるべき害悪ではない,と開き直ることが可能です。
その中には本当に必要性に疑義があって抵抗している義憤の方もおれば,自分の仕事を増やしたくないのをああでもないこうでもないと屁理屈をこねてのらりくらりとかわす偽の義憤もあるのが大変厄介なのです。
そこで現れるのが「〇〇調整課」の人たちです。
役所の中で意見が対立することを事前に調整するための専任組織。
誰かが事前に内部調整することで,所管争いやたらいまわしの長期化,常態化を避けるという安全弁はどの自治体でも備えていると思います。
私もそういう仕事をしたことがありますが,本来であれば当事者同士で互いに胸襟を開き,共通の理解を得るために対話を行えば解決できるはずのものが,調整者を立てることで互いにより自分に有利な状況を創ろうと画策し,かえって手間がかかってしまうこともありました。
これは,市民から見ればある意味無駄な内部コストで,その分の人件費を他に回して市民サービスを向上せよとお叱りを受けることと思います。

では,このような縦割りの弊害を生む自治体職員の強い自我は不要か,というとそうではありません。
もともと給料や昇任のインセンティブがなくても自分が担当している業務をより領域拡大し市民サービスの向上を図りたいと考える自治体職員の強い自我,使命感が,多岐にわたる自治体業務を安定的に遂行する機能の根幹です。
ただちょっと欠けているのは,その強い自我,使命感を自分の業務領域以外のものに振り向け,俯瞰的に眺めて見える全体像にも関心と理解を示すこと。
近年,行政へのニーズの多様化,定員削減による担当業務範囲の拡大,災害等予期せぬ事象への対応の頻発など,自分の業務領域以外のものを見ざるを得ない,考えざるを得ない,前例のない局面がどんどん増えています。
この機会をとらえて視座を一段高く上げ,「今,本当に大切なもの」を他者と語り合い,互いの視点や価値観の違いを認め合ったうえで対話によって合意形成を図り,適切な分担と連携で市民の福祉向上を図ることが自治体職員の本来の使命であると改めて認識してほしいと思います。

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