見出し画像

向かい風の中で

あんた役所に勤めてるんだって
いいよなあ 仕事は9時5時 身分は安泰
退職しても天下りで一生面倒見てもらえるんだろ
#ジブリで学ぶ自治体財政
 
久しぶりの新作です。
ひと月ほど前の話ですが、自治体職員が勤務時間中にコンビニの前でソフトクリームを食べているとクレームが寄せられたことに関し「時間差で昼休みを取得していたのだから問題ない」と訴えた区役所職員のツイートが大きな反響を呼びました。

 こういうことが報じられるたびに感じるのは、こんなくだらないことでクレームが寄せられるのかという嘆かわしい気持ちとともに、我々公務員に対する謂れのない負の感情が世の隅々まで行き渡り拭い去れないほど蔓延しているということへの絶望にも似た危機感です。
もちろん我々公務員のことを理解してくれている人、そんなに気にしていない人が大多数なのですが、少なからぬ人が心の奥底に抱えている公務員不信のせいで、常に公務員を批判の目で監視しようとする目が光り、ひとたびこのようなことがあると必ず誰かが攻撃的な姿勢で我々公務員全体へと批判を始めます。
公務員批判がすぐに始まり広がるのは、みんなきっとそう思っているという多数派の安心感、批判の声をあげてもそれに対して誰かが明確に否定し自分がマイノリティになるということがないという安心感があるのでしょう。
公務員が全体の奉仕者だからといってそこまで言われる筋合いではないだろうと理性的に反論してみても彼らが聞く耳を持たないのは、公務員は一般市民から批判されて然るべき存在であるとの長年の刷り込みが原因だと思っています。
我々公務員はこの刷り込みにどう立ち向かい、乗り越えていくべきなのでしょうか。
 
そもそも公務員バッシングの原因は我々公務員の働き方そのものとの指摘は当然にあり得ると考えています。
顧客意識が低いこと、組織として利益を確保する使命がなく経済観念に疎いこと、競争性がなくサービスの質を向上させていく仕組みを個人や組織に内在させることが難しいこと、など公務員組織の持つ様々な特性からそのサービスが改善されず、市民の皆さんに不快な思いをさせていることがあり、それが公務員への批判感情を強くしていることは否めません。
あるいは、国や地方自治体の行う施策や事業がすべての国民、市民の思う方向ではないことや、実施された政策について十分な成果が得られないことからくる行政への不信や不満も公務員への不信、不満の原因でしょう。
公務員批判をされる方々は、バッシングされる原因が公務員側にあるので批判されて当然という立場を取られます。
もちろん原因が全くないとは言いませんが、冒頭で紹介した事例にもあるように、客観的な事実として全く問題のない行為であっても、公務員は悪いことをしているのではないかといううがったものの見方のせいで濡れ衣を着せられることもしばしばありますし、多くの公務員が真面目に忠実に職務を遂行するなかでは公務員への批判的感情が障壁となることもあり、このような感情が蔓延していることは正直厄介な状況です。
 
批判を恐れずあえて言いますが、私は、公務員側に原因があると決めつける人たちのものの見方にも問題があると思っています。
公務員をバッシングする感情は何の事実に基づいているのか。
公務員は仕事をしていない、無駄遣いばかりしている、謗られて当たり前という前提に立って我々を見ているその根拠は本当に確かなものなのか。
それは公務員というカテゴリーで十把一絡げに批判してよいものなのか。
確かに昔はひどかったかもしれません。
私は30年間この業界にいますが、30年前に比べれば本当にマシになったと思います。
もちろん地域差、自治体の差はありますし、わが社もまだ改善の余地はあります。これからも努力していかなければならないとも思っています。
しかし、マスコミや多くの公務員バッシング好きの方々が前提としているのは、未だに昭和の終わり頃の公務員天国。
もうそんな時代じゃないのに何の根拠もなく色眼鏡でみないでほしい、多くの真面目な公務員がそのいわれなき先入観に心を痛め、傷ついていることを少しは心に留めていただきたい、と思っています。
 
この話題を公務員だけのコミュニティで話すと「気にするな」「俺たちは日々目の前のことを頑張ればいい」「クレーマーには組織的対応を」という意見が多数寄せられます。
それはそれで意見としてあり得るのですが、ただ黙々と誠実に善行を積み重ねていくだけではこの「公務員はバッシングされて当たり前」という認識を払拭できるとは思えません。
実際に苦情を申し立てるクレーマーみたいなのはもちろんごく少数ですが、世の中全般に、政治不信や行政不信、あるいは公権力への嫌悪や敵対のような感情があって、何か公務員を叩くことができる事案が発生したときに、いつでもその引き金が引かれ、叩きが始まります。
理不尽なクレーマーであれば聞き流す、受け流す、でその場はやり過ごすことができますが、多くの市民の意識の奥底にある、公務員への不信や「公務員は謗られて当たり前」という価値観は、我々が仕事をするときにとても厄介な障壁になり、それを払拭するには、受け流しでも言い返しでもない市民との向き合い方があるのだと思っています。
 
なぜ私がここまで公務員バッシング問題を語るのか。
実は公務員に対する批判感情は自治体の財政運営においても問題だからです。
この批判感情があることで実際に仕事が進まずパフォーマンスが落ちる、クレーマー対応や陰からの批判を意識することによるモチベーション低下という側面も否めませんが、市民の公務員に対する批判感情の高まりは、理想の公務員像、理想の行政運営への期待値ばかりが高まり、現実の職員や組織の頑張りが低く評価されがちで、これにより、施策事業に投じた費用や職員のマンパワー、頑張りに比べると相対的に行政運営への満足度が上がらないということを私は強く懸念しているのです。
 
以前、こんな記事を書きました。

市民の満足度向上はお金が全てではない。
施策や事業に関する満足とは別に,職員の市民への対応や不祥事の有無,自治体と市民との距離感や風通しのよさなど,好感度,信頼度,親密度といったいわゆる“人間味”の視点から評価されることも往々にしてあり,毎年度の予算執行による政策の実現以外に,住民が市政に満足する要素は多岐にわたる。
であるならば,お金のない今こそ我々自治体職員はもっと「お金でないもの」で市民の満足を実現していくことへの意識を高め,そこに向かって注力していくべきではないか、というのが論旨です。
 
この話は、市民の側に立って言えば、批判感情を持って公務員と接することで、かえって自分が行政の施策や事業、公務員の仕事ぶりについて満足する機会を逸してはいないか、という論点に置き換えることができます。
市民の満足度を高めるために、公務員の仕事の質の改善、行政組織の行う施策事業の改革に取り組むべきことは当然ですが、この改善改革にしても役所の中での努力はもちろん、それに加えて市民からもその取り組みを積極的に求められ、支持され、そして応援され、評価されたいと思うのです。
決してバッシングのような負のスパイラルではなく、公務員やその組織が行う良いことが市民からほめられ、ほめられた行為が広まり根付く仕組み、ムーブメントを市民の皆さんと一緒に創り、運用することができないか。
そうすることで、長年世間に蔓延し人々の心に染み付いた公務員への批判感情を洗い流すことができないか。
市民と行政が互いに信頼しあい、プラスの感情でつながることで、公務員の仕事へのやりがい向上や積極的なチャレンジの促進につながり、改革そのものの推進はもちろん、そのことプラス評価で受け止める市民の満足度向上につなげていくことができる道を、微力ながら日々思案しています。
公務員の方、公務員でない方、それぞれの立場から皆さんの意見をぜひお聞かせください。
 
★2018年12月『自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?』という本を書きました。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
 
★2021年6月『「対話」で変える公務員の仕事~自治体職員の「対話力」が未来を拓く』という本を書きました。
https://www.koshokuken.co.jp/publication/practical/20210330-567/
 
★書籍を購読された方同士の意見交換や交流、出前講座の開催スケジュールの共有などの目的で、Facebookグループを作っています。参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
https://www.facebook.com/groups/299484670905327/
 
★日々の雑事はこちらに投稿していますので、ご興味のある方はどうぞ。フォロー自由。友達申請はメッセージを添えてください(^_-)-☆
https://www.facebook.com/hiroshi.imamura.50/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?