見出し画像

続・信じて任せてくれれば

この建物、保存して何の役に立つんだい
国の補助は改修経費だけで維持や運営まではつきあってくれないよ
我々だけで先々まで費用負担する価値があると本気で思ってるのかい
#ジブリで学ぶ自治体財政

新型コロナウイルス対策に取り組む自治体を支援する3兆円の地方創生臨時交付金について、コロナ対策と関係ない支出があるとして問題視する声が国の財政制度等審議会で上がっています。
先日、国から自治体に交付されるお金として「地方交付税」のことを書きましたが「地方交付税」とこの「交付金」、どこがどう違うかご存知ですか?
国から地方に配られるお金は、地方から見れば何かの施策事業を行うための財源となるわけですが、財源は特定の目的にしか使えない「特定財源」と自治体で自由に使い道を定めることができる「一般財源」の二種類があります。
先日ご紹介した通り、「地方交付税」は、地方自治体が自分で課税徴収する税収だけでは自治体で行うべき最低限の行政サービスを行うことができないため、その不足する財源を国が補填する仕組みですので、国から交付される地方交付税は地方税と同様に自治体がその使い道を自由に定めることができる「一般財源」で、自治体の決めた使い道について国は異論をはさむことはできず、余った際も自治体は国に返還する必要はありません。

一方、特定財源は全く違います。
特定財源の代表格は、国が進める政策目的を実現するためにその目的に合った施策事業を行う地方自治体に対してその資金を支援する「補助金」で、道路、公園、学校など、国が定める規格の社会資本整備や国が推奨する事業を自治体が行う場合にその自治体が負担する事業費のうち国が補助対象とする経費の一定割合を国が自治体に対して補助金を交付して支援する仕組みになっています。
この場合、国から交付される補助金は国がその補助金で自治体を誘導して実現しようとする政策目的があるわけですから、自治体はその目的に合致した使い道にしかそのお金を使うことができません。
道路の補助金を公園に使うことはできませんし、教育のための補助金は福祉に使うことはできません。補助金は省庁ごと、目的ごと、対象ごとに細かく分かれていてその交付要件に合致するものだけに交付され、目的外の経費への流用は認められず、事業終了後には目的通りにきちんと使われたか国の厳しい検査が入りますし、もちろん余れば返さなければいけません。
冒頭に紹介した記事で話題になっている「交付金」はこの「補助金」の仲間です。
「交付税」と「交付金」、名前は似ていますが、その取扱いは雲泥の差なのです。

国が自治体の施策事業を通じて政策実現しようとする「補助金」の仕組みは、自治体側の思考として補助金をもらうことそのものが目的化し、結果として政策実現が遠のいてしまうことが大きな問題です。
自前の税収だけでは財政難の自治体にとって補助金は財政運営の頼みの綱。
とにかく国からお金を引っ張ってくることができる施策事業が優先されます。
特に国からの補助率が高く自治体の自己負担が低いものは、どうせ国のお金がほとんどだからとモラルハザードを起こし、事業内容が十分精査されず、もらわないと損、使わないと損だと補助金をもらうための新たな事業を考案したり、本来の目的から離れた使途や必要性の低い事業に充てて消化してしまったりということもよくある話です。
また国の補助金ありきで事業構築した結果、事業の持続可能性に乏しく、ソフト事業の場合補助金の終了が事業終了を意味することも多々あります。
国からもらった補助金を一時的なカンフル剤として活用し、その事業の成果をどう定着させ、持続的な財政運営をしていくかという視点を持つには、地方の財源はあまりにも脆弱で、地方の国への依存はますます高まるばかりです。

一方、国は国で、各省庁はせっかく財務省から獲得した補助金で我が省の政策を実現すべく、想定した仕様、振り付け、シナリオになるべく近い形で実現してくれる自治体に優先的に補助金を交付します。
この過程で国は、現場の実情を棚に上げて国の描く理想のスキーム、ストーリー立てにこだわったり、高い成果目標を掲げさせたりすることがありますが、自治体は目先の補助金欲しさにその条件を飲んでしまうこともあります。
その結果、自治体が本当にやりたいこと、やるべきこととずれてしまい、地方に点在する謎のハコモノや実証実験という名の一過性のイベントなど、本当に自治体に必要な事業だったのか、国が思う成果が得られたのか不明な事業が行われ、悲しい残骸を遺すことがままあります。
国が補助金の成果にこだわればこだわるほど、自治体の行う事業の内容に細かく口を出すことになり、それが結局自治体の自主性を失わせ、事業の内容が自治体の実情からずれたものになり、事業の成果に対する説明責任についても宙ぶらりんになってしまうのです。

私は、現在の国補助事業が、自治体の責任において行われる施策事業である以上、自治体が最終的に説明責任を負うべきで、その責任を果たすために必要な裁量、権限を自治体が持てる財政制度とすべきだと思っています。
そのためには国から地方へのひも付き補助金を可能な限り縮小し、地方の固有財源とする国税の割合を高めたうえで、地方交付税の仕組みのなかで地方自治体が自分で使途を定めることができる「一般財源」として配分してはどうか。
自治体に必要な施策事業を自治体自らの手で立案し、自治体住民の合意を得て実現していく。そうすれば実情に応じて内容を柔軟に修正していくことも可能ですし、その過程、結果のすべてが住民の下にさらされ、評価されるわけですから、自治体も成果を出すことに必死になるはずです。
きっと、補助金をもらうことを目的とした事業化がなくなり、自治体にとって本当に必要なことだけが実現されていくことでしょう。

それでは国の立場がないのではという方もおられるかと思いますが、私はそれでいいと思っています。
今、国が補助金を交付している施策事業のうち、本当に国が関与し、国の責任の下で自治体をコントロールしていくべき政策やそれに紐づく施策事業がどれだけあるでしょうか。
これは私が自治体内で枠配分予算を推奨している理屈と全く同じです。
国はスーパーマンではありません。
地方の実情に応じたきめ細やかな施策事業について箸の上げ下げまで指示しているような暇はないはずで、もっと大きな視点で国家をデザインし、動かしていく仕事だけに注力し、細かいことは地方自治体に任せてほしい。
私がスーパーマンとしてすべての事業を差配する財政課長の権限を手放し、組織の自律経営に舵を切ったように、国も地方に対して「信じて任せる」ことを始めてほしいとつくづく思います。
国が自治体を信じて、任せなければ、自治体も市民も育ちません。
もちろんそのためには地方自治体も、国が信頼して任せるに足るだけの政策立案、遂行能力を備え、国から移譲される権限と財源を正しく使えるガバナンスを確立し、国への甘えから脱する気概を持たなければと思います。

★「自治体の“台所”事情 ~財政が厳しい”ってどういうこと?」をより多くの人に届け隊
https://www.facebook.com/groups/299484670905327/
グループへの参加希望はメッセージを添えてください(^_-)-☆
★日々の雑事はこちらに投稿していますので,ご興味のある方はどうぞ。
https://www.facebook.com/hiroshi.imamura.50/
フォロー自由。友達申請はメッセージを添えてください(^_-)-☆
★「自治体の“台所”事情“財政が厳しい”ってどういうこと?」について
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9885
2018年12月に本を出版しました。ご興味のある方はどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?