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もうひとつのその10 願いが叶う場所

 普賢菩薩勧発品第二十八の陀羅尼呪の意訳を、ここに載せる。
今の私の心を通したものである。

 苦しいのは 
 自分の中の執われた観念が 本当の自分を覆い隠しているから   

 それを取り除くために
 自分で その観念を変えるんだ
 様々な立場や状況を 感情を伴って経験していくことで
 その観念は 固定した絶対的なもので無くなっていき
 柔らかく それを保てるようになる

 そうなったら
 その柔らかさをもって
 条件のない愛と喜びの波動に向かって
 心が重くなる一切の捉え方・観念を変えていく
 一切の解釈を変えるんだ
 感情をもとに より高い波動へ

 心が軽くなった状態なら
 執われていることから少し離れて それをありのままに観ることができる
 そこに焦点を置かないでおくことができる
 そうして 数えきれないほどの執われを手放していけば
 あらゆる存在をありのままに愛おしむ心になるんだよ

 一切の執われから抜け出て
 一切の存在を心でよく観察すれば
 本当の自分の 純粋で柔らかな思いが全てよく観える
 そこには 不安も恐怖も無い 
 心は静かで 安らいでいるんだ

この原稿を書き進めているうちにも全体の意訳は変化し続けた為、前述した内容とは多少違う部分も出てきた。
例えば。
‘’自分以外の存在との調和の方法‘’を主に語っていると思っていたが、最後にどうしても形にしにくい部分があった。その為、本来の言葉の意味をまっさらな状態から深く見直していった。すると、執われを無くすための‘’手順‘’が書かれていることに、ここ2~3日で気付いたんだ。そう見れば全てが繋がったのである。

自分の過去を振り返ってみてもその通りだったと思う。
経験が浅いうちは自分の観念を絶対視していて、捉え方を変えるなんて考えもしなかった。
心が重いままでは、全てに執われたままで身動きが取れなかった。
結果、私はこの陀羅尼呪の通りの道を辿ることになったんだ。
何とも言えない気分である。
宝を見つけて蓋を開けたと思ったら、自分の人生だった__。

余談であるが、実はこの陀羅尼呪には法華経には載ってこない部分が元々あったようで、二つ目の文献の中にそれが記されていた。
最後の部分に4つ単語が追加になっている。それを訳すと以下になる。

 これを辿り 実行すれば 生きて活動することを 味わい楽しめるよ
 願いが 叶いますように

(……ほんま、誰やねん。)

語りかけられているように感じて、心が温かくなった。
そこに、居るんだね。

ここまで来るのに、60年弱。
それでもまだその仕組みが解っただけで、これからもっと自分の波動を上げていく毎日が始まるんだ。
けれど、もう迷わない。
そして前述したように、自分に誓ったことを胸に笑顔で生きていく。

最後に。
陀羅尼呪の意訳に、二つの文献とネット検索といくつかの手持ちの辞書を活用させていただいた。言葉のその時その時の意味を、長い歴史に埋もれさせることなく残し形にしてこられた数えきれない人たちに、心から感謝している。それがあったお陰で、私はこの意訳をここまで納得する形にすることが出来た。
人は本当に繋がっていると感じる。
繋げて繋がって起こしていく波に身を委ねることで、辿り着くところ……。
それは願いが叶う場所である。



参考文献:
法華経陀羅尼呪の覚え書
著者・塚本啓祥
発行者・法華経文化研究所