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Episode#2 ボブウィルバーがシドニーべシェのところに住み込みで弟子になった時の話(1946)

私の敬愛するサックスプレイヤーのボブウィルバーの自伝"MUSIC WAS NOT ENOUGH " by Bob wilber を読んで、印象に残ったエピソードを紹介します。今日はシドニーべシェとの話。べシェとのエピソードは良いものも悪いものもたくさん出てくるので、ちょっとずついろいろ紹介したいです。

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1946年、18歳のボブウィルバーはソプラノサックスの名手シドニーべシェが”Sydney Bechet School of Music ”を開いたと聞きつけ、その門をたたいた。

家から電車を4回乗り継いだところにあるQuincy Streetのべシェの自宅は、かなり古びた、木造3階建ての、フランス窓のある建物だった。その建物は全てべシェの所有物で、地下と1階をべシェが使用し、2階と3階は賃貸に出していた。

べシェのレッスンは、その全てがボブの理想とするものであり、ボブにとって彼は素晴らしい師匠、素晴らしい人間であった。

当時、勤めていた会社を辞めたばかりでお金があまりなかったボブを見て、べシェは自分の元へ引っ越してくるように勧めた。ボブの両親は初めは心配していたものの、べシェに会うと、その人柄にすっかり魅了され、引っ越しを許してくれた。

べシェには不思議な愛される魅力があり、特に”そういったこと”が必要な場面では、蜂蜜のように甘い声で、紳士的に、人と接することができる能力があった。

引っ越してからも、べシェは定期的にボブの父親宛に近況を知らせる手紙を書いていた。彼はちゃんとした教育は受けていなかったため、綴りのミスは散見されるものの、とても品があり、愛のある文面であった。父によると、ある手紙の中でべシェは、「私はボブに私が知っている全てのことを教えました。今や、私がボブに教えられています。」などということを書いていたそうなのだが、その手紙は失くしてしまったのか、見つけることはできなかった。

このようにして、ボブは住み込みでべシェに音楽を習うことになり、べシェとべシェの愛人のLauraと、愛犬のButchと一つ屋根の下で暮らすことになった。

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ここから感想。

べシェの生活と人柄について書きたくて、このエピソードを取り上げました。

これを読むまで、私の中でべシェは”気性の荒い、ヤバイ人”というイメージだったのです。

というのも、以前、映画の「ラ・ラ・ランド」を見た時に、どんな文脈かは忘れてしまったのですが、不意に”シドニーべシェは自分の演奏にケチをつけた奴を射殺した”という一節が出てきたから。

その真偽は定かでなかったのですが、怖い人なんだなーという印象がなんとなくついてしまっていました。

そんな中、このエピソード中で出てきたのは信じられないくらい”超優しくて面倒見のいいべシェ”。

え!あの射殺したっていうのはデマなのか??と思ったのですが・・・読み進めるとそれもある程度真実だったみたいです。殺してまではいないようですが。

端的にいうと、べシェは「感情の振れ幅が大きく、超気性が荒い。激昂型。」というタイプの人だったようです。

その射殺未遂で刑務所に入った話の他、音楽のことでボブの友人のピアニストを泣かせた話とか、なんかいろいろ出てくるのですが、ボブのべシェに関するエピソードを読んでいると、ボブがべシェを音楽家としてだけでなく、すごく人間味に溢れる魅力的な人として尊敬しているのが伝わってきます。

べシェの愛人も一緒に3人と1匹で暮らした青年ボブウィルバー。

次回は、べシェにどんな風に何を教わったか、というのを書きたいと思っています。

ありがとうございました。

*師弟共演の動画がこちら*

Bob wilberの最初のバンド”wild cats"とべシェとの共演です。

Bob wilberのニューオリンズスタイルの演奏は若い時限定かも。










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