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2021223 NIHONSHU計画への一歩

誕生日から一ヶ月が経った。厳しい寒さにさらされた細々とした素朴な枝からは、小ぶりな淡いピンク色の花を見かけることが多くなった。フランスで春を告げる第一役者はアーモンドの木だ。毎年2月にこの花を見かけるたび、控えめに、でも確かに力強く咲く日本の梅の花を思い出す。梅の花を見なくなってもう9年が経つ。FacebookやInstergramに載せられた写真が密かに私を元気付けていることを、私の日本の友人たちはきっと知らないだろう。

私の想像を遥か大きく上回って、誕生日に書き上げたNIHONSHU宣言はたくさんの方々に読んでいただいた。まったくどう感謝していいのかいまだにわからない。日頃からお世話になっている方々は、そもそも私がまとまった文章を書くこと自体に驚いていたし、ほぼ音信不通になりかけていた学生時代の友人からの突然の連絡や、外出先で偶然会った知り合いからの「実は読んだよ」の一言から始まる日本酒の未来についての会話は、こんなことは夢に違いない...覚めなければいいのに...と作り笑顔の裏に戸惑いを隠すのが精一杯だった。

https://note.com/yumi_nihonshu/n/nc6abb6879734

いつまでもスタート地点に立ち続けるわけにはいかない。たくさんの方々の反応から、よーい、どん!と自ら笛を鳴らしていたことに気付いた私は、はじめの一歩を用意し始めた。

NIHONSHUという言葉をフランスで普及させるために、まずはどうしたらフランス人がNIHONSHUというアルコール飲料を受け入れるかを考えた。その答えはすぐに見つけることができた。料理との相性、組み合わせ、ペアリングだった。私の働くレストランは世界一ペアリングに力を入れているレストランの一つだ。シェフの料理に合わせて、世界中からワインを取り寄せて試したり、オリジナルカクテルを開発する。もちろんノンアルコールのためのペアリングにも抜かりは無い。ノンアルコールカクテルはもちろん、世界中のお茶やコーヒーまで、デザートだけでなく食事と合わせる。三つ星レストランという特別な場所で、唯一無二の体験を味わってもらうために私たちが特に力を入れているもの、それがペアリングだ。

ここフランスは、日本ではちょっと想像がつかないほど誰もが料理との相性を考えながら飲み物を選ぶ。例えば、招かれている食事会のためのワインを購入するためにワイン屋へ行った時、必ず聞かれるのは”何を食べるか”だ。自分の好み、シチュエーションは大切だが、なにより大切なのが料理なのだ。少し大袈裟な例えを言うと、もしあなたが今日突然フランスでワインを用意しなければならない状況になったとしても、戸惑う必要はない。たとえフランス語ができなくても、ワインがわからなくても、ローマ字の連なる料理名さえなんとか把握してワイン屋さんに行けば、きっと食事にぴったりのワインを入手することができる。料理があってこその飲み物だという意識が根付いている国の底力だ。

料理との相性を提示せずNIHONSHUが根付くことはない。そのために試みたい一風変わった独自論は長くなってしまうので次回へと割愛するが、まずは伝えるために体系化し、実際に周りの人たちに話してみた。

賛否両論だった。100パーセント肯定され、心躍る時間と情熱の高鳴りを感じながら説明に没頭し、共感を得て、感動を分かち合い、祝杯を上げるかのように興奮し続けたこともあれば、新しいことに挑戦するということを肯定する1パーセント以外、首をかしげられることもあった。とくに自ら日本酒でのビジネスを成功させている大先輩たちからは、肯定されることは稀だった。私を想って伝えてくれた言葉一つ一つをベッドの中で反芻し続け、気付けば日が暮れていたことも何度もあった。やりきれない思いは聖なる嗜好品から酔うためのアルコールと化した日本酒を飲んで体の中に押しやった。

数日前は涙をこらえながらのプレゼンテーションをした。フランス語での資料を丸一日かけて作成し、自分の経験を散りばめながら順番を組み替え、今日まで自分が連日話してきたことを今できる最高の形で表現できたと納得してから臨んだ。それは同僚のフランス人ソムリエたちに向けてだった。日本人がNIHONSHUという言葉を使わなければ日本酒が広まることはないと言った上司もそこにはいた。

“そう思いを巡らしていたとき、以前フランス人の上司から言われた一言が頭をよぎった。何より自国とその文化に誇りを持つフランス人らしい、ソムリエとしての高いプライドと謙虚さを持ち合わせた彼らしい一言だった。「本当にSakeをフランスに、そして世界に正しく広めたいのなら、日本人がまず日本酒のことをSakeと呼ぶことをやめなければならない。君たちはNIHONSHUという名前を持っているのに、なぜそう呼ばないのか」......ガツーンと思い切り頭をぶん殴られたようだった。私はそれまで何も疑問に思うことなく、Sakeとしての日本酒を広めたいと思っていた。それがそもそもの間違いだったのだ。日本酒という自国の名前が入った美しい名前があるのに、なぜ使わないのかという疑念すら浮かばなかった。すでに認知されている言葉だからというなんとも安直な考えで、周りと同じようにSakeという言葉を迷いもなく使っていた。激しく後悔した。とは言ってもこんなにも世界に普及した言葉を今さら変えることのできる余地はない、と思い胸の奥にそっとしまいこんだのだった。それを唐突に思い出したのだ。”
https://note.com/yumi_nihonshu/n/nc6abb6879734

現在のレストランで働きはじめた4年前から、人生の中で寝る以外の時間を共にした彼らの理解がなければ、私のNIHONSHU計画は実現することはないと思っていた。私のことを隅々まで知っている彼らだからこそ、きっと親身になって耳を傾けてくれて、有益なアドバイスと温かい応援をもらえるはずだと確信していたのだろう。でなければまとめたプレゼンテーションの3ページ目で飽きられ、前日朝2時まで格闘したにもかかわらず、最後のページの説明まで辿り着きすらしなかったことを悔しいと思い、どうしようもないやるせなさが体中を循環し、凝縮された涙をこらえながら話し続けることにはならなかったはずだ。

「ユミ、申し訳ないけれど、フランス人は日本酒に興味はない。日本酒はフランス人にとって難しすぎる」それが全てだった。私はただ三つ星レストランという特別な場所で、唯一無二の、新しい価値観の提示としての『日本酒』を提供出来ているに過ぎなかったのだ。それがフランス最先端のガストロノミー文化を創る三つ星レストランの現状であり、私が広めたいと願うNIHONSHUのスタート地点なのだ。

私たち日本人にとっても、日本酒は決してわかりやすいものではない。ラベルに映し出される謳い文句は、隣のボトルと比べてみると微妙に異なっていて、それが一体何の違いを表す表現なのかは一目ではわからないことも多い。それが日本語で書いてあるのだから、そもそもフランス人にとっては訳がわからないのだ。作り方はご存知だろうか?ぜひ一度調べてみて欲しい。控えめに言って気の遠くなる工程と、長い歴史を経て洗練された多様な技術を要するのが醸された酒、日本酒なのだ。(その文化の結晶とも言える日本酒に惹かれ、広めたいと願うのが私だ。)

匙を投げかけたときだった。「今僕らはとても大事なことを話している。後日改めて、フランスで、NIHONSHUを広めるということを一緒に考えよう」耳を疑った。やはり彼だった。私を三つ星レストランのソムリエとして育ててくれた、日本人がNIHONSHUという言葉を使わなければ日本酒が広まることはないと言った私の上司だった。時々、フランス人という人種の懐の深さに体を震わせることがある。優しさや包容力とは少し違う。自らの意見や考えとは一度境界線を引き、その人の人生をその人以上に真剣に考えてくれることがある。それが9年という決して短くない時間、私がフランスに住むことができている理由の一つなのかもしれない。

涙をこらえたプレゼンテーションの翌日、自宅のベランダの植物に水やりをしていると、ぶどうの木が涙をこぼしていた。長い冬眠から覚め、樹液が循環すると剪定した切り口から涙のように溢れてくる一年の活動の始まりだ。アーモンドの木がその体中に身に付けるピンク色の花ばかりに目を奪われて、毎日視界に写っているはずの植物の小さな始まりを私は見逃すところだった。上司の彼だったら見逃さなかったのだろう。前日に私がこらえた涙を彼は見つけたのだから。

彼の家の庭にはアーモンドの木が植っていた。きっと花を付ける前に涙をこぼしたのだろう。それを知っている人と一緒にNIHONSHUを広めることができる可能性があるのだとしたら、匙を投げるのはもう少し先だ。





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