縁は異なもの味なもの
出会う予定ではなかった二人
以前何度か発達障害関係のテレビに出たことがあり、それがご縁で親しくさせていただいている人がいる。
元TBSアナウンサーで現在はタレント・エッセイストとして活躍されている小島慶子さんもその一人で、彼女とは同い年ということもあり、ツイッターで相互フォローしつつ、時折近況を連絡し合っている。
元々私が出演した番組シリーズの最終回にまとめ役として小島さんが出る予定で、実は私はその回には出ないはずだった。
ところが収録日の1週間ほど前に番組スタッフから「村上さんも出演してもらえませんか?」と声がかかり、思わぬ形での出会いとなった。
彼女にその時拙著『アスペルガーの館』を渡したらとても共感してくださり、時折文章などでも取り上げてくれている。
鏡のような関係
その後彼女は軽度のADHDと診断され、その時の心境を「もっと早く知りたかったよ!」と綴っている。
https://dual.nikkei.com/atcl/column/17/1111111/062800032/
一方私は幼い頃から療育を受けて育ち、子どもの頃から自分が自閉症だと知っていた。
就いた職業も小島さんはアナウンサー、私は言語聴覚士というどちらも言語を用いる仕事ではあるものの、彼女はマスコミ関係で私は医療関係というのも興味深く、時々彼女の近況を眺めては何となく「鏡のような関係だな」と感じていた。
きっかけは母の一言
そんなある日小島さんが書いたエッセイを読んだ私の母N子さんが「あら?彼女って何歳ぐらいなの?」と私に尋ねたので「え?私と同い年よ」と答えたら、
「もしかしたら同じ時期に同じ団地に住んでいたかも」
と衝撃の一言を繰り出した。
確かに我が家もこの頃清瀬に住んでいたが、「そうは言っても団地って他にもあったからなぁ」と半信半疑で彼女に連絡を取ってみた。
…結果、なんと同じ団地の同じ棟に住んでいたことが判明!N子さん、グッジョブ!!
「ええ!」「ということは、私達知り合うずっと前に同じ建物に住んでいたってこと!?」「絶対どこかで会っていたよね!」と大盛りあがり。
そんな経緯を小島さんも語っていますので、よかったら(私のエピソードは5:00頃から)。
あの時あの場所で
ちょうど小島さんと私が同じ場所に住んでいたのは私が3歳を過ぎても全く音声言語を話さず、母があちこちへ相談して専門家に自閉症ではないか、と指摘された頃だ。
小島さんのエッセイにもあるように、1970年代に我が子が発達障害だと気づく親はまずいなかった。きっと3歳過ぎてもことばを話さなかった、という誰が見ても明らかな状態だから私の母も分かったのだろう。
そして、その頃から母は若い心理士に毎週家庭教師として来てもらい、私は自宅の一室でプレイセラピーを1年ほど受けた。
この時期に私は文字からことばを知り、その後4歳でいきなり文章を話して周囲を驚かすことになる。
同じ場所に住んでいた同い年の女の子2人がこんな対照的な経験をしていたとは…!ということにも驚いているし、約40年の時を経てそうとは知らずに親しくなり、その後事実を知る、というSF小説のような展開にも「できすぎでしょー!」と興奮している。
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