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新たなご縁がつながる

介護保険外のケアへのニーズ

父の死後今までの疲れが出たのか一気に足腰が弱った母N子さん。まだ早いかと思ったが、今後のことを考えると早いうちに申請した方がいいかも、と考え直して介護保険の利用申請したのが3月下旬。

その後判定を経て5月半ばに要支援2という認定が出たので、我が家近くのサ高住入居時に介護ベッドをレンタル(地元自治体では自費扱いにはなるが、月1,000円前後でN子さんのような段階の人にも必要に応じて介護ベッドを貸し出してくれるサービスがある)し、後は様子を見ながら必要に応じて追加していくことになった。

新居に慣れた8月頃からN子さんはサ高住での買い物サービスや介護保険での週1回のヘルパー利用を始め、10月からは入浴サービス(小柄な彼女には今どきのユニットバスは何かと支障があり、本人が怖いと言いだした)と気晴らしの外出目的のためデイサービスを使い始めた。

生活への支援は徐々に体制が整ってきたが、それでも介護保険サービスの適応外の部分とりわけ話し相手については定期的に通ってサポートしていた。

「もっと色んな人と深く話せないからつまらない」(まあ、この2年ほどは連れ合いの介護でなかなか行けなかったとは言え、今までは読書会の友人がいましたからね…)と不満をもらしつつも、ブログを書いたり電話で友人たちとコミュニケーションを取っていたが、顔を合わせてやり取りしたい欲求にかられていた。

介護保険のサービスはどうしても時間で区切られるし、他の利用者もいるから本人のペースでは進まない面も多い。コミュニケーションも世間話では満足しないタイプだから介護保険サービス外になるし、そもそもN子さんが好きな話題は好みが合う人を探すのが難しい。これは難航しそうだ、と覚悟はしていたものの、新型コロナの流行もあってイベントなどが次々中止となっている状況でこちらも正直困惑していた。

蒔かぬ種は生えぬ

そんなある日ケアマネジャーさんから電話がかかってきた。7月に訪れたコミュニティカフェのオーナーさんから地域包括支援センターを通して連絡があり、N子さんと連絡を取りたがっているという。

「オーナーさん、お母さんが読書会をしたい、というのを覚えていてくださって他のお客様に声をかけてくださったそうです」えーっ!それは嬉しい!!

コミュニティカフェのことはこちらにも触れたが、その時オーナーさんとN子さんは気が合い、「できたら読書会をこちらでもやってみたい」と話していたのだった。

実はそのお店は訪れた後しばらく夏休みで、9月にお店が再開した後一度行ってみようか、とN子さんとも話していた。

しかし、9月にはN子さんの通院(かねてより目と歯の治療をしたいと言っていた)や、デイサービス利用の見学や申請手続きなどが入り、訪れるタイミングを逃したまま10月になっていたのだった。

早速N子さんに連絡したら「やるやる!」と意気込み、翌日お礼と打ち合わせのため二人でお店を訪ねることにした。取り次いでくださったセンターの担当者とケアマネジャーさんにもお礼の連絡すると二人とも「お母様の熱意が通じてよかったですね」と大喜びだった。

ちょうど連絡をもらった日の夜はN子さんが受けている心理学の文献を読むオンラインセミナーの日で、夕方からこちらは慌ただしく部屋を整え、いつもよりだいぶ早い夕飯を済ませてバタバタしていたが、いきなりセミナー開始30分以上前にやってきて夫も目を丸くしていた。

せかせかと彼女が受講できるよう夫婦で準備をしている横で「読書会、どの本にしようかな」「(読書会の)会則を考えたの」とセミナー開始までずっと私や夫に話しかけていた。そんなに嬉しかったのかい!(本当は「今日のうちに行く!」と言っていたが、「私も雑用があるし、それにあなたも夜のセミナーがあるでしょ」と止めた)

翌日お昼前にうきうきと「テーマにしたい本を持って行く♪」というまるで遠足気分のN子さんを連れてコミュニティカフェへ。連絡をくれた地域包括支援センターの担当者がすぐにオーナーさんに伝えてくださったそうで、おいしいランチをいただいた後すぐに話が弾み、早速希望者と顔合わせすることになった。

N子さんは顔合わせまではややナーバスになっていたが、会ってみたら皆さん気さくな方々だったそうで、読書会は少人数でマイペースに始めることになったようだ。会場もコミュニティカフェ内にあるスペースを貸してもらえるとのことで、我が家へ報告後帰っていく後ろ姿も心なしか生き生きとしていた。

地域の底力は見えない資産

我が家に子どもがいないこともあってか、正直N子さんがこちらへ移ってくるまでは地域の活動は自治会の当番が回った時に参加する程度(理事を2年ほどやった時はそこそこ真面目に参加していたが)だった。

コミュニティカフェのことも彼女がいなければもしかしたら知らないままだったかもしれないし、地域包括支援センターのスタッフとやり取りするのもずっと先のことだっただろう。

元々地縁がないこの一帯に私が住むようになったのも当時勤めていた病院への通勤に便利だったからで、絶対この地域でなければ、というのはなかった。むしろ、当時は非常勤だったから常勤の職が見つかって転職したら引っ越すかも、と考えていた。

それが時が経つにつれてやっぱりこの辺で暮らしたい、と土地を探して家を建て、この地域に根を下ろしてしまった。特に今暮らしている場所は創立100年以上という小学校の学区域ということもあってか、地域活動が比較的盛んでコロナの前は定期的に回覧板で各種イベントの案内などが来ていた。

図書館や地域活動センターといった公共施設や地域の情報拠点もN子さんに言わせれば「前のところより充実している」そうで、地域を支える底力(見えない資産と言うべきか)に助けられたと感じた。恐らく私がこの地域で15年以上暮らしているのも近所付き合いの程よい距離感やある程度合理的かつ柔軟な自治会の存在が影響している。

住まいを探す際つい数字化されているデータ(価格やランキングなど)に目が行きがちだが、それだけでは測れない面も侮れないことを改めて実感した出来事だった。



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