22年で変わったこと、変わらないこと

高まる支援へのニーズ

発達相談を22年もしていると働き始めた頃会っていた世代の子ども達がちょうど親になり始める時期に差し掛かり、今更ではあるが「随分時間が経ったなぁ」と感じることが増えた。

発達相談の現場も以前と変わった、と思うことも出てきた。個人的には子どもたちを取り巻く社会情勢や子どもたちが育つ環境が変わり、その影響として子どもたちの言動に変化が出てきたと感じている。

私自身療育を受けて育った人間なので、子どもたちと話しているとかつての自分を外から眺めているような錯覚に陥ることがある。

もちろん仕事として会うため共感ばかりではいけないが、「以前なら『親の育て方云々』『様子を見ましょう』で終わっていた話が何らかの支援を受けたいと相談に来るようになったのは、それだけ療育や発達障害について知られてきた証拠だなぁ」と社会の変化を感じている。

母親以外の保護者の育児参加

私が発達相談の現場で働き始めた頃は発達相談の際やってくる保護者と言えばほぼ100%母親だった。稀に父親が来ることがあっても、「今日は仕事休みだったから付き合った」という雰囲気のことが多く、こちらが質問しても的確に答えられずシドロモドロになり、見かねた母親が代わりに説明することも珍しいことではなかった。

今は初回面接で両親が揃ってくることも多くなり、保健師や保育士たちも当たり前のように両親や他の家族のことを話す。社会全体では「子育ては母親がするもの」という暗黙の了解はまだ根強いが、育児に接している人の間では「今時の育児は母だけでは無理」という新しい前提が定着しつつあると感じている。

今後はいかに育児に接していない人たちとの温度差を減らしていくか?というのが課題だろう。

発達障害への不安

一方で、働き始めた当初は「ことばが遅い」「発音が幼い」といった具体的な症状が主訴だったことが多かったが、最近は「落ち着きがないので療育を受けたい」「発達障害だったらどうしよう?」というやや抽象的な主訴が増えてきた。

我が子にできるだけ苦労をしてほしくない、という親心もよく分かる。誰だって余計な苦労はしない方がいいに決まっている。

ただ、発達障害であろうとなかろうと子どもたちが困っていたら適切な方法を周囲の大人たちが考え、より暮らしやすくなるよう対応するのは変わらない。

療育(医療的・治療的な考え方を育児や教育に取り入れていくこと)は本来どんな子どもにも有効で、障害があるからやる/障害がなければやらないという二択ではないのだ。

もちろん保険診療で専門家の指導を受ける場合は医師の診断や処方が必要だし、手帳などを取得して福祉の支援を受ける場合も根拠となる状況を申請する必要がある。

でも、もしかしたらそこまでしなくてもちょっと声のかけ方を工夫する、持ち物の色や形、素材を変えてみるだけでも反応が変わるかもしれない。

なかなか余裕がない、考えて変化させるためのエネルギー自体ない、という場合は子どもへの支援と並行して保護者や保育士への支援をもっと充実させる必要がある。

幼稚園・保育園・小中学校への巡回支援なども徐々に始まったが、「このトラブルメーカーを何とかしてほしい」という姿勢では解決しないので、どこまで歩み寄れる姿勢を作れるかを見ていくことも大切だろう。

支援の目的は何か?

「療育を受ければこの子は普通になるでしょうか?」「通常学級へ入れますか?」と尋ねられることもあるが、その問いに対しては正直当事者としては複雑な感情を抱いてしまう。

恐らく発達障害という診断をされることで、我が子の可能性が閉ざされてしまうのではないか?将来幸せになれないのでは?という不安からこのような質問が口をついて出てしまうのだろう。

先日母と話していた折「あなたは子どもの頃から療育を受けて育ったし、他の障害がある人たちとも一緒に過ごしてきた。大学では外国の人達とも接する機会が多かったから、ずっと自分とは境遇が違う人がいる環境だった。

それだからかもしれないけど、『障害などによって何か不都合があれば、一緒に過ごすためにはお互いやり繰りするのが当たり前』という感覚が自然に身についたのかもね」と指摘された。

思えばそれは今の仕事に就く際に有利に働いている反面、知らぬ間に「お互い工夫することが当たり前」という相手にとっては不遜な態度にもつながっていたかもしれない、と反省している。

支援を求めてくる保護者の場合、様々な事情で工夫すること自体困難なケースも珍しくはない。残念ながら日本では家族が生活ベースで支えていることが前提だから、そのレールから外れるととたんに利用できる資源が減ってしまうのも課題だ。

本来ならこのようなケースにこそ手厚い支援が必要なはずで、家庭環境によって生じてしまう格差をどう減らすかが福祉の大きなテーマなのだが、現場も目の前の問題に対応することに追われて考えを深める余裕がないのも現実だ。

社会の変化とともに

現場の問題は遅々として解決へ進まない一方で、世の中の急速な変化とともに子どもたちの発達面において「ここは丁寧にフォローした方がよさそう」と感じることも出てきた。

こちらについてはまた追々書いていけたら、と考えている。


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