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成長と合理性の狭間で

言語聴覚士として働き始めた頃、先輩の先生が「最近はダイヤル式の電話が減って困っちゃうのよ。ダイヤル式なら『ご両親が言った数字をダイヤルで回せますか?』って聞けば数字の理解と指の機能を同時に確認できたのに、プッシュホンだとダイヤルほど指の機能が分からないのよねぇ」と嘆いていた。

当時は「へえ、そういうものなのか」とそれほど気にとめていなかったが、今や携帯電話やスマートフォンの普及でプッシュホンすら家の中にあるかが怪しい状況になってしまった。

家の中から消えてしまったものは固定電話だけではない。冒頭の画像にあるようなひねるタイプの蛇口や丸ノブの取っ手も過去のものとなり、レバー式が主流になってしまった。

発達相談をしている部屋のドアが丸ノブのため、時々子どもたちにお手伝いと称してドアを開けてもらおうとするが、申し合わせたかのようにドアを開けるのに手こずる。

実は丸ノブを開けるにはレバーより手の動きが必要で、手首をひねる動きに加えて指先をドアノブに引っ掛ける動作と、指先に適度な力を入れ、親指を他の指とは対立させてノブを回転させる動作が組み合わさっている。

これは鉛筆や箸等の操作はもちろん、ボールを投げる、ボタンをはめる、細かいものをつまむ、といった指、手首、肘、肩の関節を連動させる動き全般では無意識にやっていることだ。

関節は360度動くから自由自在な反面、適切に体を動かすには一定の力を入れて固定させることも必要だ。関節や筋肉の力が弱いとスムーズに動かすために必要な力の加減を調節させることが難しくなる。

子どもたちには筋トレをさせることは現実的ではないため、筋肉を鍛えるには結局負荷の少ない様々な動きを繰り返すことが一番効率がいい。一見無駄な動きであっても、多様な体の使い方を自分の中に取り入れているし、それこそが「成長」「遊び」の本質なのでは、と私は感じている。

しかし、現代社会は楽な動きをよしとされ、合理的な暮らしが重んじられている。いかに無駄を省いて効率よく行動するかが評価の目安となる。

かつてなら日々の暮らしの中で無意識に指や手首を様々な形でトレーニングできたが、動かす機会が減ったことであえて動かすための方法を大人が用意する必要が出てきていた。皮肉なことに合理性の追求が子どもの成長発達においては非効率的な状況を招いていると言えるだろう。

こう書いていくと「よくある『昔はよかった』」という主張なのか?」と誤解されるかもしれないが、文明の進歩自体よく考えれば合理性の追求だ。私達自身江戸時代の人たちからしたら「全然運動能力がない人たち」だし、彼らの暮らしは今より肉体的な負担はずっと大きかったはずだ。

それでも今の私達が彼らよりも平均寿命が長いのはまさに文明の恩恵を受けているからで、ある程度の運動機能の低下があることを想定することがむしろ大切なのだろう。

しかし、生きている以上生命(すなわち肉体)を維持していくための能力が求められる。維持するためには

1.自分でできるようにする(様々な動作を獲得する)

2.機械などの操作をマスターして使いこなす(機器を用いる)

3.他人にケアしてもらう(誰かの世話になる)

ことが必要だ。

そして、この3つは独立しているわけではなくて多くの人が想像している以上に相互に関係している。案外目には見えないが1.の背景には2.や3.が隠れていることも多い。

相談の現場で感じているのは「これだけ子どもたちの運動能力が低下しているなら、もっと初等教育への導入内容を考えた方がいいのでは?」ということだ。

例えば文字を書くにしてもそもそも筆記具を3本の指先で固定して持つことが困難な子は昔より増えている(下の画像がいわゆる3指持ち)。

2020-09-21三指つまみ

先にも述べたように指先に力を入れる動作が激減しているし、タッチパネルの操作では指先を伸ばすからか、指先を曲げることをこちらから促すまで指を伸ばしたまま物を持つケースが多いこれはピンセット状に物を持っているため指先だけではなく、親指で支えるという機能をうまく利用できない。(下の画像)。

2020-09-21ピンセット持ち

中には指で支える力が弱いためか、親指の付け根(拇指球という)を土台に筆記具や小さな物を操作することも以前より目にするようになった(下の画像)。

2020-09-21拇指球持ち

いずれの持ち方についても「大人でもいるのでは?」と言われそうだが、発達相談の現場では鉛筆を持たせるとピンセット持ちと拇指球持ちの子の前段階である握り持ちも珍しくはない状況になってきた。

発達検査などでは握り持ちはもちろんだが、ピンセット状や拇指球での操作は乳児期から幼児期に差し掛かる頃に確認する動作だ。だからその時点で獲得した動きでずっと賄っているので、新たな動作を獲得する手間を省いていると言えば合理的なのかもしれない。

成長を促す働きかけをどんな形でするのか?どこまで求めるのか?どのような段階からサポートするのか?検討し始めたらきりがないのかもしれないが、もう少し子どもたちを取り巻く発達と合理性の話については考察していきたい。




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