なまけ者のさとり方 を 読んでいた頃
溜まった本を整理していると、「なまけ者のさとり方」が出てきた。
捨てない。「パパラギ」はこの本の後。
1988年 4月発効の初版 を持っている。
30台後半にさしかかり、犬を飼うために、戸建て(狭い、古い、だけど交通は便利)に越してきた頃。初めて飼った子犬の、ビーグル、ベルちゃんにかじられてしまった本。なんてことを、大事な本なのにと思った記憶がある。
団地での8年の生活。共働きやめ、和裁学校3年、和裁内職、着付け、編み物、生活クラブ生協、、、子供をあきらめられたのかなこの頃。
都内(と言っても端っこ)へ。都内ど真ん中育ちが埼玉で暮らして戻った。
近くに荒川が流れている。大きな川へ毎日行き、犬の散歩を朝夕する。
15年の犬3匹と(もちろん夫も)の生活。
河原で月を大きな空の中でみる。理科の教科書の月の動きが初めて分かる。
頭で生きていたんだと思う。十六夜日記と理科が結びついた(頭だ!)。
子育てをしないと、自分の生きている意味は何なのか(大げさだけど、なんとなく考える)引け目を埋めていかないとと思っていたのかな。
いろんな選択肢があるのに、今の道を歩いていること、
意思や努力でかなわないことがある、
自分に合う言葉を拾い出したと言われるかもしれないが
訳者あとがきより。写真にしてしまいました。
ああいうことがあったから、これができた
結果的に、良かったかもしれない
この程度の「さとり」です。
一般的な人と同じではないこともあるけど、そうだったことで道ができたこともあったかな。
※ 追記
佛教賛歌を思い出しました。
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