「どうせコロナを機に変わらなければいけない」と思った。1年前の自粛記録
わたしは目標設計がかなり好きな方だと思う。目標を達成したときよりも、目標を立てているときの方が充実している自覚がある。
なのでだいたい月初めは、どれだけ忙しくても目標を立てる時間を設けているのだけれど、昨年の記録などを眺めながらふと「あ、そういえば昨年の4月頃、自粛デビューしたんだっけな」と思い出した。
思い返すとこの1年は、言葉以上に「あっという間」だった。こんな常套句をこんな新鮮な気持ちで使うなんて。驚いている。そしてまさか1年経った今なお街もニュースもコロナまみれだなんて、思ってもみなかった。
振り返ると、自粛を機に変わったことが結構あった。それは仕事や家族、友人や自分との向き合い方だったり、自分自身の方向性だったり。
ちょうど去年の5月に書いた、初自粛の成果(?)を記したブログ記事を見つけたので、リライトがてらにここに綴っておくことにする。
自粛デビュー1か月でやったこと
自粛デビューから1ヶ月経過した際に記していた「自粛で新しく始めたこと」は以下だ。
・食生活アドバイザーの資格勉強開始
・読書量を10倍に(月1→10冊)
・経済の勉強をはじめた
・Netflixでドラマと映画を15本くらい鑑賞
・筋トレ(腹筋、ダンベル、スクワット毎日)
・日記(ほぼ日手帳購入)
・Instagramで読書/手帳アカウントを開設
・手帳デコにはまり、研究
・自己分析ノートを作り、ひたすら自己分析
・iPad購入、Adobe frescoにはまる
・メルカリデビュー。販売実験にはまる
ずっと溜めてた本を読んでみると、読書の下手さに気づいて慌てて読書術の本を購入するに至ったり(わたしは洋服もそうだが、選書についても散乱している)、ドラマや映画に涙を流したり、かれこれ5年も前に購入した「食生活アドバイザー」の資格試験本を今更めくったりした(※その後無事合格しました)。
様々なことに手を出すと同時に反省した。改めて自分がたくさんのことを始めたがっていたのに、手を付けず放置してことに気付いたのだった。コロナがなかったら10年くらい気づかずにいたのではないかと震えた。
どうせコロナを機にわたしは変わらないといけない
充実の自粛生活と思いきや、1か月が経過するとスーパーにしか行かないわたしの顔はどす黒く青ざめていた。これでは免疫力が低下する、とエステティシャン時代の知識が警告を鳴らしたので、公園を散歩することにした。太陽がまぶしかった。
久しぶりに散歩したことで、自分の心の声が聞こえてきたのだろうか。当時のわたしの日記を見ると、こんなことが書かれていた。
フリーランスになって1年半。売り上げの目標しか立ててなかったけど、そもそもお金ばかり追いかけるのは虚しい。独立=自己実現のはず。もっとやりたいことがあったんじゃないか。忙しいという字は「心を亡くす」と書くけれど、わたしは忙しさを充実だと言い聞かせながら、心を亡くしていたのではないか。きちんと向き合おう。どうせコロナを機に、わたしは変わらないといけない。
この頃、Afterコロナがなんちゃらとかコロナ禍で新たなビジネスを始めましたとか、いろんな情報が世の中に出始めていたのだが、わたしは全然ついていけてなかった。心が追いつかず、まだ「元の世界に戻ること」を願っていた。
だけど本当は心の中で戻らないことをうっすら感じていて、元に戻ることをそういえば自分は望んでいたんだっけ?という疑問も生まれていた。というのも、あんなに好きだった飲み会が、なくても平気だと早々に気付いたのだ。正直びびった。
コロナの存在は迷惑極まりないが、そこで浮き彫りになった自分の感情を無視するのは違う。新しい感情が芽生えるということは、新しい自分に出会えるチャンスだから。
ついていけずにモタモタしていたわたしのafterコロナへの準備は、新しい自分に向き合うという形で実施することになった。どうせ変わらないといけないのだ。
すべて書く。書いて書いて向き合う
これは、これまでの旅の記録を残そうと作ったトラベルノートと、それをInstagramに投稿した時の画像だ。(浮かれポンチな感じが恥ずかしい)
「変わらなければいけない」を分解していくと「自分を知る」「積極的に変えたい自分/維持したい自分の仕分け」「短所克服/長所伸展」「ひたすら行動(もしくは保持)」など、色々出てきた。そしてそのほとんどは「書く」ことで浮き彫りにできた。そりゃそうだ。わたしがつけたい力は、どうせ文章の世界にしかないのだ。
己を知るためにまず、コロナで一番迷惑に思っている「旅行ができない」ことに向き合ってみようと思った。そして改めてトラベルノートたるものを書いてみると、旅行の価値は観光やグルメ、アクティビティだけではないことに気づく。知らない道を歩いた時の高揚感、ハプニング(もまた思い出)、その土地で暮らす人が見せる表情や文化、「絶対に知り合いがいない」ことの自由さ、フリーライターでも沖縄移住者でもない「旅行者」としての自分自身。など。
自分に必要なのは「自由」や「人との出会い」や「思いもよらない出来事」なのだと知った。そしてそれらは、仕事の中でどうにか作り出すことができるものだということにも気づいた。(この辺は未だ模索中だし、旅行自体の圧倒的楽しさに置き換えることは不可能だけれど)
1年で得たこと
そんな風にあれこれ考えながら、日記や読書はいつの間にか習慣となり、それらを気づきの種に変えながらあれこれ思うままに手を出した結果、少なからず色々手に入った。
・読書/日記の習慣
・本選びの失敗が減った
・飲み会の大幅な削減
・食生活アドバイザーの資格
・推し(J.Y.Park)
・ファンデーションを塗らない日々
・短歌という趣味
・憧れの文筆家(くどうれいんさん)
・筋トレの習慣
やり始めた物事のほとんどが長続きはせず、手帳デコなんかは可愛いマステを大量に購入することで早々に満足してしまった。だけどそうやって生きていけばいいと思った。だって何が自分にハマるかなんて、やってみないとわからないし、はまらなかった経験も、それはそれでオイシイ。
どうやら自分のご機嫌とりが異常にうまくなった1年であることは確かだ。あと、いろんなことを「粛々と」できるようになった。日記をつけ続けることによって、自分が「過程」の最中にいることを客観視できたのだと思う。
今もまだ過程の最中だ。コロナはきっとまだまだ終わらない。自粛もきっとボチボチ続けなければいけない。だけど全部、過程の最中なのだ。今日も明日も、新しい自分を知っていければと思って、生きる。粛々と。
コロナが本当に終息したら、祝杯をあげましょう。