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「牧師、閉鎖病棟に入る」を読んで

「ありのままでいい」と語ってきた牧師が、ありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月。

この帯文にとてつもなく吸い寄せられて、本を買った。こちらの本だ。

読了後すぐには出ない答えが付録のように、わたしの脳内にしっかりと居座っている。しばらくはこのことについて考えることになるのだろう。

正直、ものすごい本だったな...という読後感が強すぎて、少し時間を置いてからブログに書こうかなと思っていた。だけれども、よく見ると発売してまだ1ヶ月も経っていない新しい本ということだったため、レビューが少ないうちに、自分の感想を綴っておきたいと思ったのである。(レビューがたくさん出たら見るし、その言葉を吸収しちゃうので)

「まとも」な世界のための犠牲

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この本、読み始めは「ものすごい本」という雰囲気や迫力などはまったくなかった。というか読み終わるまでずっと、柔らかく読みやすい文章と配置された文字のバランス、1章ごとの見出しのフォント、表紙や挿絵のイラストなど、使われている材料はすべてとても”ふんわり”していた。

文体も知的でありながらやさしくて、時折ことばの使い方が独特で、職業の特殊さを垣間見ながらも、読みづらさは感じない。

なんだけど。

中身はすごい。

同じ閉鎖病棟内で出会う人との会話や出来事のひとつひとつから、牧師として、人間として、そして精神病を患った患者としての著者の感情や視点が、シンプルながらすごく生々しく流れ込んでくる。実際に行ったことがないので「リアルだ」とは言えないけれど、これがリアルなんだと思った。これがリアルなんだ。きっとこれが。

車椅子の少年

頭から離れないストーリーがある。

両手両足を固定されている車椅子の少年の話。少年は「暴れるから」という理由で拘束されているが、著者の目からは暴れるどころか歩くことすらままならないように見えていた。視点も合わず、コミュニケーションも取れるようには見えなかったそうだ。

著者はある日、主治医に打ち明けられた。ここに入所した当初、彼は普通に歩くことができていたのだと。だけど彼の主治医が強い薬の投与を繰り返し、ああなってしまったのだと。

話の中で、著者が綴ったことばが特に印象的だったので、そのまま引用したい。

これは十字架に磔されたイエス・キリストのイコンだ。彼がここに拘束されているから、世の中は「まともな」人たちだけで独占していられるのだ。世の中の「まともさ」を彼が贖っているのだ。

イエス・キリストについての知識はわたしにはないが、言わんとしていることの怖さは理解できた。わたしたちの「まともさ」は、人知れず犠牲になる人とそれを見てみぬふりをすることで成り立っているのだとすると、それはとても恐ろしい。

わたしは以前、近しい人が鬱になったことがあり、それ以来精神病に関する本を時々読むのだけれど、精神病院に入る前より入った後に悪化するケースや、それ以前に妻が鬱陶しくなったなどの理由で健常者を精神病院に入れるという事実があったことを、数々の本を通して知った。

そしてその話の犠牲者は、患者だけではなくて看護師や医師もそうなのだろうと思う記述も多くあった。つまり精神病院という箱の中に、世の中の闇をギュウギュウに押し込んで、「正常な世の中ですよ」と表面上は見せているのが「まともな」世界、ってこと?

ゾッとした。多数派が生きやすい世界にするために、少数派がスケープゴートにされ、意思を奪われる世界はまともだと言えるのだろうか。だけどその世界を心地よく生きているのはわたし自身だ。


そしてもうひとつ考えさせられたのは、死ぬ権利について。それについては本には特別記述や見解があるわけではないのだけれど、自殺しないように鏡やコップ、熱湯などはすべて使わない暮らしが、もしかしたら一生続くという事実を知ってしまうと、なんというか、それでいいのかと疑問に思う。

その隔離病棟では、風呂に入るのも看護師(女性)に見られながら入るのだそうだ。精神に疾患があるのだから安全のためには当然なのかも知れないけれど、自尊心を削られ、自由がなく、退院時期を知る権利も与えられないまま、死ぬ権利すらない。これが本当に、精神の治療として最善なのだろうか。

本を読みながら、そんな考えが浮かんでは「とはいえ重度の精神病を抱える人が自由に外を歩けるというのは怖い」だとか「一時的な病として自殺を図ってしまうのは本人にとっても悲しいことだ」などと考えるわたしもいた。そしてわたしひとりがこの考えの結論を絞り出せたとして、わたしになにができるだろう。

今のわたしは情けないことに、その読後感で止まっている状態である。

だけどそんな自分自身に向けられた課題感は残しつつも、著者がひたむきに自分を変えていこうと努力した姿には、純粋に感動した。本の中で著者は、とことん真っ直ぐに自分と向き合い、そして主治医もまた、とことん真剣に著者の病に向き合っていた。

ときどき、思う。

人が変わりたいと真に願っても、努力しても、それでもやっぱり、本当の意味で変わるということは難しいのではないだろうか。

特に精神的な病だと診断されたとき、向き合って向き合って、傷ついたその先に、望むものが得られるかというと分からない。もしかしたら人が変わるために必要なのは「この人のために変わりたい」と思える他者なのではないだろうか。

それと同時に、変わろうと決めた人を支える決断することや、それを継続することも、とても難しいのではないかと思う。どこまでも自分事ではないことを、継続することもまた苦しいのだから。


と、そんな風に時間をかけて考えたいテーマが詰まった本だった。今もなお考えが次々と湧いては消えてゆくので、いま記した考えも、後日書きなおすかもしれない。ご了承いただけると幸いです。



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