心、本音を伝えること、そして音楽
心の傷って、他の人からは見えない。
自分でも、壊れるまで全然気づかないときもある。
気づかないようにしてるときもある。
言葉に表さないと気づかないことって、いっぱいあるんだなあと最近実感している。
よく、「無理しないでね」と人から言われる。
でも自分では、それを言われるたびに
「むしろ私は、人よりも頑張ってなさすぎるんじゃないの?」とよく思っていた。
最近になって、ようやく人を心から信頼できるようになった。
きっかけは、ある恩師に自分の悩みをほんの少しだけ言ってみたことだ。
とても、まっすぐに、私の心に言葉を届けてくださった。
自分では絶対にわからなかった、私のことを教えてくれた。
その恩師から見た、私。
本当にびっくりした。自分では、自分のことなんて、必ずしも正しくわからないものなんだなって思った。
それから、不安に支配されていた自分の気持ちと、見え方が一気に変わった。
人に、感謝を伝えたくなった。
会いたい人に、今のうちに会わなきゃっていう気持ちになった。
たくさんの人に、久しぶりに連絡をした。
そこで、今までちゃんと伝えてなかった自分の本音を話した。
それまでの私だったら、本音は言わないで、表向きの言葉だけを話していただろう。
自分が悩み、苦しんできたことなど、誰も聞きたくはないだろうな、ってずっと思っていた。
ポジティブなことしか話しちゃダメなんじゃないかって、思っていた。
いつからそんな風になっていたのかな。小学生のころからだと思う。
ものすごくポジティブな人っていうのは、生まれつき、その能力を持っていた訳ではない。
松岡修造さんや、アンミカさんは、世間から見たらすごくポジティブな人という印象が強い方だ。
でも、お二人のことをそれぞれ知るうちに、ポジティブが必要になったときがあったんだな、とすごく感じた。
自分自身の努力で、ポジティブに捉える力を養ってきたんだろうなあ。だからこそ、その人柄は本当にたくさんの人を元気づけるし、愛されている。
出てくる言葉には、ちゃんとした裏付けと、意味が込められている。だからすごく心に届く。
私も、記憶の中では保育園のころから、既に人間関係では悩みがあった。仲良くしたい子に、なぜか嫌われてしまう。強く当たられる。
小学生になって、さらに人間関係は複雑になる。人間関係は、学校だけじゃない。家庭内も含めて、人間として生きていく上で、どうしても必要になる。
そのころよく悩んでいたんだな、と最近になってようやく気づいた。
でも私には、日記という武器があった。
言葉で人に出来事を伝えることは得意だし、好きだ。同級生のことで困ったことがあると、自分から見た世界は全て、担任の先生に向けて書き記した。
なぜ日記を書くのが得意なんだろう?と思い出すと、よく友達と文通をしていたからだ、と気づいた。
保育園のころから、年賀状が大好きだった。
家族が自分よりもたくさんの年賀状をもらっているのを見たら、本当に羨ましかった。
文字で、人と繋がることは本当に好きだ。
話すと、よく失敗する。
自分では普通に話してるつもりでも、うまくコミュニケーションできてない、と感じることは多かった。今でもそうだ。
思い返すと、小学校や中学校で、1年間の最後には必ず、先生に手紙を書いた。感謝の気持ちを綴った。
担任の先生だけじゃなく、転勤される先生で、すごくお世話になった専科の先生にも書いた記憶がある。
すごく叱られたことのあった先生でも、手紙を渡したあとは、すごく優しく接してくれる。先生からお返しのお手紙を頂くこともあった。
それって今になって思うと、自分の言葉で相手の心を動かしたのかな?と思う。
私は、ポジティブな表現をすることはとても得意だ。
リフレーミングというのがある。
でもそれを知る前から、「相手に喜んでほしい」と心を込めて書くと、良い表し方で書けた。
最近はしばらく、人に相談することが本当に下手になっていた。いつからなんだろう?
わからない。
中学のときから、自分が何で悩んでいるかよくわからなくなった。
部活も始まって、人間関係が増えた。先輩に対しての接し方を失敗することが多くて、とても難しく感じた。
「好かれたい」という気持ちがあったからだと思う。
「自分を良く見せよう」とすると、自分自身がよくわからなくなってくる。
自分らしくないことをしてしまう。
相手に過度に尽くしてしまう。
自分がどんどんわからなくなる。
最近、「自分の本当の気持ち」を表現するのが苦手になっていた。なぜだろう?
「恥ずかしい」と感じたり、「これは自分のイメージに合わないんじゃないか」と思うからだ。
「イメージ」「相手から見た自分」なんて、自分だけの力ではわからない。言葉で教えてもらって、初めて知ることは多い。
最近の自分は友達から「大好きだよ」と伝えられても、何も感じなくなっていた。
他人事のように聞こえたから。
友達とか親友って、「大好き」って言い合わなきゃいけない関係なのかな?と、いつからか思っていた。心で思っていなくても、「大好き」とは書けてしまう。言うこともできる。
でも、そこに感情は乗っていない。
本音で相手と向き合うことを、しなくなっていた。
親しい人とも建前だけで話していたから、なかなか距離が近づかなかった。
『本当の自分』は人からは愛されないんじゃないか?とどこかで思っていた。
私は、相手からのネガティブな反応や、陰口を言われたことなどは、中でも浮き出て覚えている。
でも、きっとそれ以上に、自分という人間が受け入れられていると感じたことは多かったはずだ。
不安に支配されているときは、つらいことしか思い出せなくなる。自分の失敗や、相手を悲しませたことをずっと思い出す。
話を戻す。恩師から伝えてもらった言葉で、ようやく自分を取り戻した。
その恩師の伝え方を、真似してみようと思った。
私はしばらく、人に本音を伝えていない。
まっすぐに、心を込めて、恩師のように、本音で相手に気持ちを届けようと思った。
自分が感謝している人に、連絡した。
なぜ自分が会えなくなっていたか、何に悩んでいたか、これからどうしたいかをありのままに書いた。
想像以上に、相手は喜んでくれた!
「自分の話なんてしても、きっと迷惑だ」
という先入観は、ガラガラと音を立てて崩れていった。
素直な気持ちで、話せたきっかけは本当に恩師のおかげだ。
そして、自分の背中を押してくれた曲がいくつもあった。
恩師に自分を正直に話すとき、とても勇気がいった。そんな私の気持ちを引っ張ってくれた曲がある。
この曲を聴きながら、精一杯、自分を取り繕わずに書く努力をした。やめようかな、迷惑かな、と何度も思った。苦しかった。
でも、この曲を聴いてると本音を書こう、ちゃんと届けようと心の底から思った。
星野源「光の跡」
自分にこだわって悩む気持ちよりも、「会いたい人に会おう」「話したい人と、今のうちに話そう」と、無理なく心から思えた。
私の好きな音楽は、いつも私を守ってくれた。支えてくれた。
自分から孤独を選んだときも、誰のことも信頼せずに心を閉ざしていたときも、ずっと側にいてくれた。
私の心の扉を、いつもノックしてくれる存在。
私は、生きていく中に音楽があって、本当に助かってる!!
本音で話せて、色んな人とまた連絡がとれたのは本当によかった。嬉しい。ありがたい。
孤独にはもう飽きた。
でも、もしこれからまた孤独を選んでしまったとしても、きっと私は大丈夫だと思う。
私には音楽があるから、孤独にはならない。
心に響く音楽は、私の気持ちを教えてくれるんだ。
私がどうしたいかを、本音を、導いてくれる。今、これを書きながらこのことに気づいて、本当にびっくりしている。
自分自身の本音が見えないから、歌に教えてもらうんだろうな。
だから、つらくて真っ暗なときはいつも音楽を頼っている。
そしたら「こうしてみたらどう?」と私の心を導いてくれる。
「そのままのあなたは素敵だよ」と、力強く受け止めてくれる。
動き出すために、音楽を求めている。
今もまさに、初挑戦のことに取り組んでいる。好きな音楽を聴くときと聴いてないときでは、捗り方が全く違う!
好きな音楽があれば、私は頑張れる!
それに気づけて、よかった!戦い方がようやくわかった。本当に嬉しい〜!!!
本当に、ありがとう!!
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