見出し画像

南日本新聞社「2020年新春文芸」入選作

タイトルの通り、私は南日本新聞社による「2020年新春文芸」において詩と短歌の部門で共に一席(一等賞)に選ばれました。それまでも何度か応募して短歌が三席に入ったりしてはいたんですが、複数の部門でダブル一席という結果には自分でもびっくりしました。ちなみに賞金は詩が7万円で短歌が5万円です。南日本新聞社の、鹿児島の文芸を保護し育成したいという意気込みが感じられる金額だと思います。実際、創作の努力や熱意が「お金」という具体的な形で評価されるというのは大変な励みになるんですよ。そして今回、「2024年新春文芸」でも詩が一席、俳句が三席に選ばれたのを機に、過去の受賞作を公開したいと考えました。まずは詩の方からです。

初詣

参道を歩く人たちが無言なのは
訪れたばかりの新しい年に
まだ戸惑っているからか
それとも無慈悲な繰り返しに飽きて
信じることを恐れはじめているのか
それでも皆、白い息を吐きながら
光を求めるように前へ進んでいく

人も季節も少しずつ
だが確実に壊れはじめている
もはや大それた希望は持たず
平穏を、
ただ平穏だけを望むほどに
追い詰められていることを
そろそろ認めなくてはならない
そうしなければ
始めることすらできないから

お賽銭はいくらにしよう
去年より十パーセント増しか
おみくじは何が出るだろう
当たるも八卦、当たらぬも八卦
どんな結果になろうとも
それを受け入れた上で
白い息が続く限り
抗うべきなら抗ってみよう

子どもたちは
まだ夢の中にいるだろう
朝になって目覚めても
彼らの夢は続くだろう
だから耳を切る寒さに耐えて
黙々と参道を歩き続けるのだ
まだ約束されていない日の出を
確実なものとするために


まあ、こんな感じです。私が詩歌を書くときは、自分の無意識に「こんなビジュアルで」とか「こんな感じで」みたいに大雑把なイメージ(特に視覚的イメージであることが多い)を「発注」するという方法でやります。その後はひたすら待ち続けて早ければ数分後、遅い場合は数日後に作品が完成形の形で降ってくるのでそれを急いで書き留めるという流れです。この詩の場合は「新春文芸なんだから正月絡みのおめでたい感じで、尚且つ現代詩風に仕上げたい」という注文を出しました。降ってきたのはそれから1時間後くらいでした。読み返してみると、親としての立場で書いているんだなという感じですね。続いて短歌作品です。

千年の記憶を刻む年輪にレコード針を落としてみたい


これは、けっこう分かりやすいのではないでしょうか。以前に仕事で屋久島へ何度か行ったことがあり、穏やかさと厳しさが入り混じる自然の風景に魅せられました。屋久島へ飛行機で行く時に利用した鹿児島空港の出発ロビーには、樹齢二千六百年の屋久杉の切り株が展示されています。その年輪を見た時に「何だかレコードの溝みたいだな」と思った記憶があり、それを元にして書いたものです。ですから本来なら二千六百年なんですけど、言葉のリズムに合わないので「千年」ということにしました。「人間よりずっと長い時間を生きてきた大木の年輪にレコード針を落としたら、刻まれた歴史の音が再生されるのではないか」という子どもみたいな発想の歌です。

さて、「2024年新春文芸」の入賞作品は来年の元日に発売される南日本新聞に掲載される予定です。詩も俳句も応募規定ギリギリの2作品を送ったので、私自身も当日にならないとそれぞれどの作品が選ばれたのかは分かりません。今から楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?