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まなぼうの木曜日 支援のあり方

先週までの大雨の影響で、西日本を中心に多くの被害がでた。
ニュースではさらりと死者数が述べられているけれど、死者150人を超える災害なんてとても大規模で(昨日の時点では175人)、報道の仕方にいささか疑問を感じた。
とにかく、被害にあわれた地域の方々へ、一刻も早い復興をお祈り申し上げ
ます。

大雨による被害というのは、日本であれば身近すぎる雨による被害ということで、地震などのよりイレギュラーな自然現象と比較して大規模な被害が起こったという印象をうけづらいという側面があるように感じた。
映像を見れば、尋常じゃない状況はすぐにわかるのに。
建物2階を超えるような水の量に恐怖しかなかった。

この災害をきっかけに寄付について、支援について、援助について考えてみたい。

多くの組織が今回の災害を対して
寄付受付の窓口を設けたり、募金箱を置いたりと寄付の機会を提示している。
もちろん寄付というのは、災害に対する支援の形の一つではある。
けれど、いつも思うのは、どの募金に寄付したらいいんだろう?という問いである。本当に必要な形で支援できるのか、自分のほんの少しの寄付は役に立つのか、そもそも根本的にこの募金にお金をだしても大丈夫なのか

必要な形で、というのはとても難しい問いで、断水が続く中今必要なものは水であろうけど、長期的に見ると本当に今必要なのは水道の復旧にお金を使うことともいえる。さらに支援が動き出して、実際に支援が現地に届く中で、必要なものが変わってしまうことも多い。
1週間後には一番必要なものは変わってくるだろう。
もちろん無駄ではなくても一番必要なものを届けることはとても難しい。

ほんの少しの寄付の力は、きっと無力だ。
電話をかけるだけで1回につき100円募金されますなんて、たいしたことがないなあと思ってしまう。
けれど、これは本当に必要だと思える。塵も積もれば山となる、わけだから。

募金にお金を出すことが不正利用にされてしまうんじゃないか、そんな不安をなぜかわたしはずっと抱えている。
善意で、募金したのに、思ったような使い道をなされていないことがよくあるような気がする。
その不安の理由は使い道がよくわからないからだろう。
募金の名前を憶えてリサーチをかけて、HPまでたどり着いて、具体的な用途や成果を公開してくれていればもちろんベストだけれど、
そんなことをするよりも支援に力を注ぎたいと思っているかもしれない。
さらにお店で募金する場合などは明確に募金先を確認しないことも多い。
広い意味でも発信だったりが必要なのかもしれない。

寄付よりボランティアのほうがいいんじゃないか

というひともいるだろう。
実際大学生だと周りに災害が起こると毎回ボランティアに行く人がいる。
大阪の地震の時も、最初の週末に関西に駆け付けていた。

けれど、そんなひとばかりじゃないだろう。
あたりまえだ。
だから募金があるのだから。

いけないけど、応援しているよという思いを届ける形はいくらでもある。
ここは大丈夫ですという近くの地域に観光にいくでも
情報をシェアするでも
産物を買うでも
ちょっと荷物を送ってみるでも
思い出すだけでも
きっとなんだってやり方はある。


すこし話を派生させて…

支援の形のあり方って何が最善なのか

最近、新興国支援について考える機会があった。
先進国に暮らす自分としての立場からしか考えられないけれど、
貧困にあえぐ人々の支援の最善はなんなのか。

インフラ整備や工場の建設などのハード面の支援なのか
教育や技術伝達などのソフトの支援で、彼ら自身に力をつけさせることなのか(センのケイパビリティ的な)

支援することは本当にいいことなのか

国外アクターが支援することで、国内政治を弱体化あるいが歪ませることにつながりはしないか、負の遺産を残すことになりかねないのではないか
そもそも彼らは支援を必要としているのか
いまのわたしにとっても豊かさが彼らにとっても同じように豊かさなのか、幸せなのか
運命論的な信仰を持っている地域では、支援を受けることがその信仰を否定することになってしまうのでは?
伝統的な狩猟採集生活を営む民族にとっては、生活様式を変更することは全ではないかもしれない

疑問は尽きない。これという答えも出ない。
だからこそ解決していないのだけれど

ただ、緊急時の支援は必須であること、そのさきは被支援者の意思を尊重した長期的な支援体制が必要であることは、いえると思う。
『戦争にチャンスを与えよ』のなかで、エドワードルトワックは、戦争の解決には勝ち負けをつける必要性があることを述べているけれど、
戦争介入も似たように、緊急時にいま死んでいるひとに対する手助けを放棄するべきではない。
ように貧困にも長期的目線と短期的目線に基づいたふたつの支援を考えていくべきである。

何も持たぬわたしですが、全力であなたのサポートを活かした「なにか」をします!いまはわたしが沢山の知識と文化とアイデアと記憶を吸収するために使います!