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26年間、誰かの人生、自分の人生にそうやって「正解」「不正解」をつけてきた。

正解も不正解もなかった。決めていたのは自分だけ。気づけて良かった。ありがとう


「この人生は正解だ」

「この人生は不正解だ」

私は26年間、誰かの人生、自分の人生にそうやって「正解」「不正解」をつけてきた。

それは「正解」じゃない道を進んでしまったら終わりだと思っていたから。

だから何か始めるたびに、「正解」の答え合わせをしてきた。

学生時代も、大学時代も、本当は自分の中で答えは出ているのに

「いいんじゃない」「それすごいね」とかそんな「正解」ばかり求めて

悩んでいないのに、相談していた。

そして何よりも「正解」じゃない道を歩んだ時に、

大事な友達や大切なパートナーが離れていってしまうのが怖かった。

だから、管理栄養士の勉強をしたら管理栄養士にならないといけないと

思っていたし、大手の正社員になったらそのまま正社員で頑張らないと

いけないと思っていた。

なんなら、フリーランスの勉強したら絶対にフリーランスにならないと

自分はだめだと思っていたし、資産運用の勉強をしたら、

絶対に資産運用頑張らないといけないと思っていた。

そうやっていくうちに、「正解」を歩んでるはずなのに「正解」が

苦しくなって、最初のうちにやりたかった気持ちもどこかに消えてしまって、「不正解」の道に逃げたくなった。


でも私の中で決めていた「不正解」は「不正解」じゃなかった。

「不正解」(=決めた事から逃げること、やらないこと)でも、友達は友達でいてくれた。心配もしてくれた。大切なパートナーもそんなことで蔑まなかった。勇気をもって話しかけたら、普通に話してくれた。

私の中で自分の人生を、自分の人生における価値を「正解」「不正解」といったフィルターを通してみたいただけなんだと。

だから自分の中で「正解」「不正解」というフィルターを取っ払った。

「その時やらなかったことは、その時必要なかったもの」そう思うようにした。そうしたら、あの時泣いてもできなかったことが、今では普通にできるようになった。

この経験をしてから、自分の人生を作っているのは自分の「思い込み」なんだっていつも思う。一気に取っ払うのは難しいけれど、少しずつ付き合い方が分かってきた。そんな私の人生は「正解」「不正解」じゃなくて「幸せ」である。

書きながら涙が出た。でも書いてよかった。


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