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学校が休みになったら何をしますか?→「できない」より「やりたい」にフォーカス

学校の休校が発表されました。学校へ行けない。マスク買えない。出かけられない、ないない尽くしです。どうしても出来ないことに目が向いてしまうし、感染はこわいし、暗い気持ちになってきます。

でも、こんな時だからこそ今できることに頭と時間を使いませんか?

考えてみれば、何にも予定がない、スケジュールがまっさらな時間って、そんなにあるものじゃないと思います。だから、何かに使わない手はないのです!なんとなくスマホを見ているだけでも時間は過ぎるでしょう。でも、それってもったいない!

例えば、学校へ行けないことで勉強が遅れるのが気になるなら、このまとまった時間に、苦手分野を集中的に勉強する、とか、1冊問題集をやりきる(→達成感あります)。新たな語学の勉強をするのも面白いかも知れません。YouTubeでも勉強できますね。

勉強以外もいいと思います。楽器の練習なんかは、たっぷり時間がとれたら上達しそう。(騒音になっちゃうかな?)絵を描く、プログラミングに挑戦、お金のことを研究してみる。筋トレする。料理をする。

かっこいいことじゃなくてもいいのです。見たかったアニメを全部見る、ゲームをとことん極める、でもいいと思います。ただし、なんとなくダラダラやるのではなくて「自分は今これをやりたい!」と本気で思ったことを実行するのが鍵。せっかくできた時間を何に使うのか。自分で考えて実行する。この期間が過ぎた時に、あの時大変だったけど、自分はこれだけはやったんだ、とプラスに思い返せたら素敵だと思います。もちろん、外出できないために実行できないこともあるでしょう。お金の都合で出来ないこともあるかもしれません。それでも、限られた条件の中で何が今出来るかを「考える」こと自体、意味があると思います。考えて、実行できる方法を調べたり、交渉したりするのです。

子供が「考える」ことにつき合うのは、親にとっては大変です。疲れます。「考える」のを待たずに「やること」を提示したほうが楽かもしれません。でも、考える力をつけることは、生きていく上でとても価値があることだと私は考えています。

私の息子は、学校へ行けない時期がありました。(ここではいきさつは書きませんが、本人の意志でも、本人の過失でもありません。)その時、彼は学校へ行けないことがとても悲しくて悔しかったのだと思うのですが、せっかく時間ができたのだから、できることをしようと考えました。(むしろ「クソー!やってやる!」という感じが近いかも。)

そして、時間を有効活用しました。まず受験勉強をかなり集中してしました。それと「自分のことを自分でできるようになる」こともやってみました。銀行の口座の開設、お金の振り込みや郵便局での書留などの手続きなどをできる限りひとりでやってみました(親がいないとできないこともありましたが、それを調べるのは自分でやりました)。それまで全然やらなかった料理にも少し挑戦しました。その過程で、結構息子とはたくさん話をしたと思います。でも、私が知らないことも何かやっていたのかもしれません。

結果、彼は行きたかった高校に無事合格することができました。そして、学校へ行けなかった時にやっていた勉強以外のことも、生きていく上で役に立っていると感じます。(そのことは、本人は気がついていないかもしれません。)

大学生になった息子はバイトで引っ越し代を貯め、部屋を借りて独り暮らしを始めました。自宅からでも学校へは通えますが、家を出たのです。不動屋さんとの連絡や諸手続きも、ほとんど自分でやりました。(未成年で学生なので親のサインなどは必要でしたが。)出ていくと宣言してから1カ月であっという間に引っ越してしまったので、正直言って私はとても寂しかったのですが、自分で生きていく力がついたことはとても嬉しく、頼もしいと思っています。

私自身は若いときに時間をあまり大切に使うことができませんでした。何も考えず、場当たり的に時間を使ってしまった気がします。そのことの反省も込めて書いてみました。




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