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すずめの戸締まりのタイムパラドックスから考察する新海監督が伝えたかったこと

空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!

すずめの戸締まりのラストは、タイムパラドックスが出てきますよね。

私はこのタイムパラドックスの考え方がめちゃくちゃ好きでして、ありえないけれどありえてしまう。


考えるほどのにわからなくなっていく答えが出ないこの感覚が面白いなと想っていて、答えが出ないこともまた好きなのですが、今回はなぜ新海監督が、タイムパラドックスになりながらもあのラストを描いたのか。

伝えたかったことはなにか、そこから私たちが学び、人生に活かすことは?

というテーマで私なりの考察を書いてみたいと想います。


下記ネタバレを含みます。

まだ見られていないときはぜひ映画を見てから続きを見ていただけましたらと想います。



すずめの戸締まりのタイムパラドックスを振り返る


まず、すずめの戸締まりのタイムパラドックスはなにかおさらいですが、鈴芽は、震災で、お母さんから作ってもらった大切な子供椅子をなくしてしまいます。

だけれども、どこかで脚が一本なくなった状態で見つけ、大事に持っていたその椅子。

その椅子に草太が閉じ込められてしまうのですが、物語のラストで、無事に草太が椅子と分離できたあと


うしろ戸の中にいた、震災でいなくなったお母さんを探していた、幼いころの鈴芽を見つけて、鈴芽は、その一本脚がなくなった椅子を手渡します。

そして過去に帰っていく幼い鈴芽。


幼いころの鈴芽は、手渡してくれた人を、お母さんだと思っていたけれど…


実は、成長した自分自身だったのです。

ここにタイムパラドックスが発生します。


高校生になった鈴芽が椅子を持っていたのは、幼い頃の鈴芽が、椅子を見つけたからこそ、いまの椅子がそこにあるはずです。

だけど、なくした椅子を持っていたは、高校生になった鈴芽でした。


今の鈴芽の椅子は過去に見つけたものなのに

その過去の椅子は、未来の自分が渡したから過去で手元に戻ってきたのです。


鶏が先か卵が先かみたいな話で

あれ??どういうこと??となって面白いのですが…


新海監督は、なぜこのラストにしたのでしょうか?

私はこのラストにものすごく感動したのですが、それはある、ひとつの考え方を知っていたからでした。



→その考え方とは「時は未来から過去に向けて流れる」



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