僕は「普通」じゃない僕のままで生きている
「〇〇、元気にしてるか」
僕のFacebookアカウントに急に来たメッセージ。
元気にしているか、なんて今更、気にされても困る。名前なんて呼ばれたくない。もう会いたくない。顔も見たくない。
メッセージを送ってきたのは、父親だった。
僕はFacebookのアカウントを消して、いろいろなところから「夢乃くらげ」を消そうとした。
けれど、途中でもういいかと思い始めたのだ。
逃げて、遠ざけても、どこかで繋がる可能性はある。いつでも。
僕は別に自分のことを、直接、伝えたいなんて思わないけれど、もう隠すだけの自分じゃなくていい。
僕は、子どもの頃に求められた「普通」にはなれなかった。今でもそうだ。でも、親に求められる像になれなくても、別にいい。僕は僕の人生を歩める。
両親と距離を置けたのは、実家を出て、一人暮らしを始めてからだ。21歳のとき。それから、10年以上経ったけど、ほとんど会っていない。
でも「普通」じゃない自分を、そのままの自分をそのままにしてあげられるようになったのは最近のことだ。
それは、この3年くらいの生活が大きく影響している。
僕は僕をただ、そのまま愛してくれる人と一緒にいられるようになったのだ。
「そのまま愛してくれる」と書くと簡単なことのようになってしまうけど、僕にとっては初めてのことばかりで、すごいことがたくさんある。
僕を貶めたり、上下関係を作らない。不機嫌を押し付けたり、空気を読めって圧力がない。こうしろ、ああしろと命令されない。「普通」であることを強要されない。話し合うことを続ける。
挙げたら本当にたくさん出てくる。今までの僕にはない関係性。
そして、しばらく仕事から離れているのも大きい。一時、復帰したこともあったけど、長くは続かなかった。
もっと余裕のある仕事だったら良かったのだけど、そんなことは働いてみないと分からない。
休むことができて、穏やかなパートナーに恵まれて、やっと落ち着いて生活できるようになった。こんなに安らかな日々は初めてだ。本当に物心ついてから、初めてのことだ。
まだ、精神科の薬は手放せないし、躁鬱の波にやられるけれど、昔に比べればかなり楽だ。
僕は僕が生きていてもいいんじゃないか、とすら思うようになった。
「普通」じゃないまま、僕のまま、ここにいてもいいんだと。
何者かになる必要などない。
生きているだけで、ここにいるだけで、それでいい。
僕はもう「普通」じゃないことを気にしてない。それが僕だ。他人から見れば、異質で、異常な存在かもしれない。でも、だから何だというのか。僕のことを変えられるのは僕だけなのに、外から変われと言われても困るだけだ。
僕はここにいることを肯定も、否定もしない。そのままで、あるがままで、それでいい。
ただ、二本足で立っている。それだけのこと。
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