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生きながら死んでいたとき

自分が心地いいと思えたり、楽しいと思えることが減ると、人は病んでしまうと思う。それでも多くの人は生きていくことをやめられない。

死ぬのが怖かったり、そもそもそんな気はなかったり、身内や友人などに悲しい思いをさせたくないとか、理由は様々あるだろう。

わたしは、ここ数年で楽しいことができるようになった。環境が変わって、付き合う人が変わったのが大きな要因だ。

それまでは辛い日々だった。
「妻」にとって幸せであろうことはあっても、わたしにとっての幸せはなかったから。

元旦那が「これが幸せなんだ」という押し付けのような固定概念が強くて、わたし自身がどう感じてるかとか、そんなことは無いも同然。
「わたしのことをこの人は見ていないんだ」と思い、毎日が億劫だった。

そうして、毎晩、死にたくて泣くようになったわたし。
そんなわたしを見ても、面倒くさそうに元旦那は言った「早く寝よう」。それは、わたしに追い討ちをかける言葉だった。

そのときのわたしは、毎日、家で家事をやっていた。家事には終わりがない上に報酬もない。わたしは家事が嫌いになった。

ずっと家にいるように言われて、友人と遊びに行くこともできず、お出掛けする金銭的な余裕もなく、旦那には毎日いろんな食事を作ったけど、わたしは厚揚げとこんにゃくの煮物ばかり食べていた。

今思い返せば、わたしはじわじわと蝕まれていたのだ。

質素なご飯に、「痩せてないといけない」と言われて続けていた筋トレ、捻出できない自分のお小遣い。
「外食行きたい」「旅行に行きたい」「日帰りで遠出したい」「ちょっといい焼き肉食べたい」そう言われるたびに家計簿が気になる。けれど、無理だと言えるような関係じゃなかった。
それくらいの生活ができて当然だと、相手は思っていたし。

わたしは思った。
これは、何なのだろうと。

毎月、家計簿の赤字はわたしの貯蓄から補填していた。赤字の家計簿を毎月、見せているのに、湯水のようにお金があると言わんばかりに、無邪気に旅行や外食を断らせないような空気で言う。

わたしのやってることはなに?

「死にたい」と言いながら夜中に泣いて、朝方にやっと眠れる生活。わたしは家政婦だ。旦那に所有され、あらゆる身の回りの世話を委任され、わたしの意思と関係なく物事が決まる。

「この人はわたしを愛していない」
そう思った日に離婚したいと伝えた。相手にとっては、青天の霹靂だっただろう。

一ヶ月後に引っ越して、わたしは一人暮らしに戻った。

そこから、今のパートナーと再会し、共に暮らすまでに至る。それが今も続いている。

パートナーと住むようになって、わたしはどんどんやりたいことをやった。それがイベントだったのだけど、それ以外にも買い物に行ったり、喫茶店やシーシャ屋へ行ったりする。

今は夜泣くこともないし、死にたくなくなったし、毎日が楽しくて、パートナーと一緒にいられるのが嬉しい。本当にありがたい。

思い返せば、わたしは支配される関係ばかり築いてきた。

元旦那だけではなく、いろんな人が被支配の人間を欲していたからわたしを選んだ。

しかし、その関係はわたしを失うことで辛いものだった。それでも、多くの人と長い時間を過ごしたのは、わたしが支配されることに依存していたからだろう。

生きているのに自分を殺そうと動く。そうせざるを得ない状況になっていく。それが、大切な人との関係だと思っていた。

でも、今はそうじゃないと言い切れる。

今の暮らしはとても穏やかで、落ち着いている。全てはパートナーのおかげだと思う。
なんでも全部、話し合うわたしたちは、対等な立場であるための努力を常にしている。ここには、ちゃんとわたしの意思がある。

今までは生きながら死んでいたのだ。

前はわたし自身の全てを支配され、抑圧され、「こうあるべき」を押し付けられていた。しかし、そこからパートナーが引きずり出してくれたのだ。本当にどれだけ感謝しても足りない。

苦しみを抱え、辛い日々を過ごし、生きながら死ぬくらいなら、何もかも捨てて新しい生き方をしてもいい。
変わらないこともまた、必要なときもあるだろうし、たった一歩、踏み出すのが難しいときもある。

けれど、やっぱり生きながら死ぬような毎日は続けられない。毎日辛い人が早く自分の人生を歩めることを願っている。

わたしは二度と前の生活には戻らない。
もう、毎晩泣いたりしないし、お出掛けもする。
生活を共にしてくれるパートナーに感謝。

本当にありがとう。何度言っても、いくら伝えても足りないくらいの愛情に生かされています。

Photo UTATANE

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