温度差。

今日のテーマは「温度差」である。
確かにこの季節は、風呂に入ろうとすると寒い脱衣所から熱い風呂に入って、また寒い脱衣所へ戻るという身体には優しくない季節である。引っ越す前の新築アパートには浴室暖房がついていたけど、今の家は浴室暖房も乾燥機もついていないのでゲキ寒である。

という話ではなくて。

授業をしているとクラスの中に妙な温度差を感じる時がある。原因は様々あって、その時ごとに変わるパターンも多いけれど、大体は「勉強に向かう意識の差」であることが多い。

例えば「宿題を忘れる」「プリントを失くす」「遅刻をする」「授業中に居眠りをしてばかりいる」なんていうのは、やはり意識が学習に向いているとは言えない。

「準備万端!」という生徒と、「全然準備出来てません!」という生徒を同時に授業するのは結構難しい。講義的に説明する授業でも、話し合いで課題を解決していくような授業でも、クラス内の温度差が大きいと必然的に授業効率=生徒諸君の学習効率は低下してしまうのだ。

これが個人の問題ならば別に自分でカバーすればいいのだから問題はない。しかし、うちの学校のように集団指導が主となる学習形態の場合は、一人の学習に向けた温度(熱意?心がけ?)が、周りの人に良くない影響を与えてしまうものである。

このように考えていくと、勉強には「公」の側面と「私」の側面があることがわかる。多くの人は、「勉強は自分のためにやっているんだから、やるもやらないも自分の自由だ」という「私」の側面で勉強を語るが、実際「公」の側面もとても大きいモノである。

勉強は決して自分のためだけにやっているのではない。クラスメート、家族、まだ見ぬこれから出会う誰かのためにやっている部分も大きいのだということを、忘れてはいけない。

受験生である3年生も、中だるみしつつある2年生も、コロナや休校で今一つ高校生になりきれてない1年生も、この機会に勉強の「公」と「私」について考えてみよう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?