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練習に失敗なんかあるものか

ありますけどね実際は。情けないことに…でも、描いたらそれがそれ。そこに失敗も不出来もない。なるべく割り切った練習をしています。以前から続けていることと同じです。単純な明暗のパターンを重ねることによって見えている事物の全ては暗示できるという考えに基づいています。

ものの粗密が物事を暗示する--ということをある時ふと不思議に感じたのものです。子供の頃です。形もそうですし陰影もそうです。パソコンやテレビのモニターも見えている仕組みは同じです。絵に関して言えばそれは点描と同じです。印刷だってそうです。

子供の頃の雑誌はかなり荒っぽい製版がありました。写真の網印刷なんか、荒っぽいと逆に面白かったです。落書きくらいはしていたけど、絵らしい絵など描いていない時代です。あれの仕組みがどうなっているのか詳しくは知りませんが、虫メガネで見ると何だかわからない。点が散らばっているだけ。でもちょっと目を離すと急に物が見えてくる。これはとても不思議でした。

そう言えば非常にリアルで惚れ惚れするようなな絵が近寄ってみるとかなり大まかだったりして驚いた経験もあります。経験を積んだ人はそのようなことができるのだとつくづく思いました。

枯れ野

網製版は単色で陰影を表示するのですが、点の粗密で陰影が表現できるそうです。絵を描いている人ならペンでの点描を一回くらいはやったことがあるかも知れません。あれもそんな理屈ですね。

絵の具の場合は細かな点で描く必要はありません。しかし基本的にモノクロで考えるのは陰影を考えるうえでより理屈にかなっていると思います。絵を描くには色んな方面での練習をせねばなりませんが、最初はなるべく多くの要素を持ち込まないようにした方が良いように感じます。

明暗のトーンで考えることに関して、その階調を非常に多くとる方も居られますが、実はあまり細かくしない方が良いように私には思えます。鉛筆であってもそう感じます。形も明暗もなるべく大雑把に単純化した方が結果は魅力的だと感じています。あまり細かく分けるとむしろ大胆さの失われた平凡なものに近づいていくように私には思われるのです。

しかしこれは、非常に細緻な描画を研究している人であればまた別の考え方があるでしょう。人にはそれぞれ好みがあるものです。

絵の具(或いは墨とか)と筆で描く場合は溶け込みやグランデーションが自然に発生しますので精々三段階くらいにした方が結果は良いと感じています。なるべく単純で最短で描ける方向を目指したいと思います。

同時に、筆の練習もやって置きたいところです。今のところ私は安物の習字筆を使っていますが、どんな筆でも興味深い跡を残します。そしてまず、文字を描くような持ち方から離れてみるのも面白いと思います。飽くまで私の考えです。描く絵によって人はそれぞれです。

高坂の野

おまけ。これは埼玉の高坂と言うところです。と言っても右の林のこんもりが予定より拡がってしまったのでどこの風景でもなくなってしまいましたが。かなり偶然性の多い絵です。

今のところずっと安価な材料で描いていますが、色んなものを試すとまた別のものが出てくるかも知れません。どんなことでも興味深く眺めると面白いですね。

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