【小説】白い脚【前編】

早く家へ帰らないと。
そう思う気持ちと裏腹に私の頭はどんどん重くなる。
鎮痛剤の類は、どこかにあるだろうかと、申し訳ない気持ちで彼の家の中を探る。
目に飛び込んで来たのは、知らない街のレシート。
缶ビール2個につまみ、見たくもないが避妊具の名前がカタカナで書いてある。
(他の人とする時は、ゴムしてんじゃん。)
私の中にそんな気持ちが芽生えてしまった。

拓己は、とても優しい。優しすぎるくらい。3歳も歳が下なのにしっかりしている。私と違い、希望の職について小さいアパートとはいえ、いつも部屋は小綺麗にしている。料理も好きで、よく振る舞ってもらう。毎日ロクなものを食べていないので、拓己の作る料理にいつでも「おいしい!」と感動して大きな声を出してしまう。
その度、拓己は恥ずかしそうに笑いながら「美里ちゃん。たくさん食べてね。」と料理を取り分ける。
最近になって太り始めた事を口にすると拓己は、「美里ちゃんの事、太ってるなんて思った事ないから。」と、拗ねたふうに言う。

拓己は、本当に私を好きなんだろうか。
じゃあ、このレシートはなんなんだろう。
垂れ込める雲の合間、少し日差しのような明るさが見える。

婚約破棄というとんでもない爆弾が落ちたのは、こんな日。
いまからちょうど一年前くらい。
大好きだった彼は、パワハラを受けて休職をした。そこから連絡が途絶えてしまい、気が付いたら10歳も年下の可愛い女の子の肩をだいてどこかへ行ってしまった。
二人の後ろ姿を眺めながら、私もあんな風に綺麗で真っ直ぐな白い脚をもってたら、スカートだってはけるのに。彼を引き止める事も出来たのに。とチグハクな事を思ってしまった。
あまりにも現実味がなく。その時はそんな事ぐらいしか考えられなかった。
ショックを受けているのかそうじゃないのかよくわからないまま、私は電車で1時間たらずの実家へ婚約破棄の報告をしに向かった。
父は口を閉ざし、母は涙を拭っていた。
当の私は、なんだかフワフワとしていた。
母を泣かせてしまったのは、私なのか?
あの綺麗な白い脚を持ってない私のせいなのかしら?

なにも考えられず、二階の自室にはいりベッドへ仰向けに寝転んだ。
とたんに、涙が溢れてきた。
部屋の照明が涙で滲み、ベッドの沈み込む感覚はまるで大洪水に飲まれたようだった。
泣き疲れて眠ってしまった私が起きるとベッドの脇に人の気配を感じた。
初めは、母かと思ったがそれは見慣れた男の子、いや男性だった。
「美里ちゃん、ご飯食べないのって、おばさんが心配してるよ。目が真っ赤だ。誰かに泣かされたんだね。」拓己は母に持たされたおにぎりと味噌汁の乗ったおぼんをこちらへ突き出した。
ベッドの上で躰を縦にして頼りなくおにぎりを掴んで食べた。
こんなに辛くても、母の作ったご飯は美味しいし、こんな状態でも食欲がある自分がイヤで私の目からはまた涙がこぼれた。
拓己はやさしくその涙を拭っては、タイミングよく味噌汁を差し出してくる。
じっと何も言わずに。
ようやくおにぎりを食べ終えて、初めてまともに拓己の顔をみる。
怒りとも悲しみとも取れない表情をしていた。
小さい子が拗ねている顔。というのが、一番当てはまりそうな物だ。
その顔をみていると、ふいに私の肩に拓己の頭がぶつかってきた。
親戚である私を姉のように慕い、小さい頃は嫌な事があったりするとこんな風に私の肩や腕に頭を埋めていた。
今でも、そのクセは治っていないようで、大きくなってからも何かと嫌なことがある度にこんな風にする。
拓己も私も思春期だった頃ですらこんな風に触れ合ってきていた。
「拓己もいやな事があったの?」
あまりに、自分の声がほそいので、びっくりした。
「美里ちゃんが泣いているのが嫌だ。」
もうすぐ26歳になろうというのに、拓己はいつでもこんな風に甘える。
久しぶりに乗せられた頭の感覚は小さな子供ではなく立派な大人の男性も物だった。

「美里ちゃん!美里ちゃんまだいる??」

いつのまにか時計は午後3時を差していた。
どうやら寝てしまったみたいだ。
「拓己。ごめん、いいかげん帰るよ。」
帰ってくるには、早い気もするが、拓己の仕事に口を出す気もないのでそそくさと帰る準備をした。
「もう元気になったの?」
傘をどう差したらそんなにスーツが濡れるのか?というくらい拓己の肩は濡れていた。
「明日も仕事休みだよね?待って!美里ちゃん一緒に!」
あまりに拓己が腕を強く引っ張るので私はバランスを崩して転んでしまった。
「たしかに、痩せているわけじゃないから、頑丈そうに見えるかもしれないけど今のは痛かったぞ。」冗談で言ったつもりが、拓己は小さい子供みたいにアワアワとしている。
「拓己がいやじゃなければ、居てもいいよ。」
言い終わる前に私の口は拓己の口で塞がれていた。
昨日の夜の出来事を思い出して私の下腹部に力が入る。

なだれ込むように、先ほどまでいたベッドに押し戻されてしまい、せっかく整えた服もすべて取られてしまった。
「拓己。レシート見ちゃった。」
私の胸に口づけをする拓己にすこし意地悪ぎみに伝える。
口づけしていた顔を私の顔へ近づけてきた。
「美里ちゃんが一番。」
前触れもなく拓己の指が私の中を掻き回し出した。

前編 終わり



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