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お盆休み、気付けば残機僅か

お盆休み、約一週間ほどありました。
けれどそれも、残り僅かとなりました。『あっという間』という言葉は、まさしくその通りだと思います。

上司からの「帰省するの?」という質問に「しません」と答えて。
バイトの子たちの「甲子園見に行こうと思って」「海外旅行に行く予定です」などという話を聞いて。

私も何か特別なことをしようか、とは何度も頭を過った考えです。それこそ旅行とか。
普通の会社員ですが、大なり小なり責任のある立場にいるため、普段は連休なんて滅多に取れません。いや、制度としては取れるのですが、「己が休みの間に何か問題でも起きたらどうしよう」「休み明けの仕事が増えるくらいなら、下手に休まずに普通に働いておこう」なんて考えてしまうのです。結果として有休は消費されず翌年繰越となり、古い年度のものから消滅している。なんて無駄。
まあ、そのため、お盆や年末年始といった連休はとても貴重で。折角ならば、普段はしないようなことをしようと考えるのも道理でしょう。

ただ、結論から言えば、私はどこにも行きませんでした。隣の県に買い物に行くくらいはしましたが、旅行と言えるような代物では到底ありません。
「台風が近付いているから」「金欠だから」「この時期に一緒に旅行に行ける友人がいなかったから」
理由はいくらでも挙げられます。

けれど本質的なことを言えば、「己が根本的に怠惰であるから」そして「その怠惰を今回は許容してしまったから」これに尽きます。
私は自身のことを怠惰な人間だと自負しており、改善できるものならばしたいが、数十年生きてきて直せなかった性質はなかなか矯正できないだろうと半ば諦めています。そのことに対する負の感情について、今回は置いておくことにして。
この“怠惰”を上回る“何か”があれば、躊躇いなく行動できるのです。
例えばかつての連休では、「推しの声優が東京で朗読劇に出るから生で観てみたい」「美味しい海鮮が食べたいから金沢に行こう」「むかし戦国武将が好きだったけど関ヶ原って行ったことなかったな」「好きなコンテンツの聖地だから名古屋に行ってみようか」とか、色んな目的がありました。色んなやりたいことがあって、その情熱であり欲求であり将又執着だったり興味だったりといった“何か”。それらが己の“怠惰”を上回ったから、ひょいひょいっとフットワークも軽かったのです。

けれど今回は、それが無かった。何にも、無かった。
だから良いかなと思ったのです。
情熱であり欲求であり将又執着だったり興味だったりといった“何か”が無いのであれば、“怠惰”に身を任せる休日にしてしまっても良いと、自身が許容してしまったのです。

寝て、起きて、ご飯を作って、食べて、片付けて、動画を見て、ゲームして、昼寝して、本を読んで、ぼーっとして。
スーパーに買い出しに行く以外、ほとんど家で過ごしました。クーラーつけっぱなしだから、今月の電気代は高そう。

勿論、ふとした瞬間に「何か特別なことしておけば良かったかな」と思ったり、「休み明けに上司から何してたのって聞かれたらどう答えようか」と考えたりもします。
でも、休みも残り数日の今となっては後の祭りだし。どうしようもないよね。
それに何より、この“怠惰”な日々を過ごす中で、苦だと思うことがほとんど無かったのです。
それって多分、自分には合ってたんだと結論付けました。

きっと他の人からは「勿体ない」と言われたり、「何のための休みなの?」と引かれることもありそうですが。
でもこれ、“私のための休み”ですし。もうしょうがないよねって、笑えます。

ただ一つ、危惧することがあるならば。
情熱であり欲求であり将又執着だったり興味だったりといった“何か”が年々薄れてきている。
その事実に騒つく心が少しだけ。


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