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表面的なポジティブはいらない

目の前の世界が開けてきたように感じてからわかったことの一つ。

気持ちが変わってきたからと言って24時間、365日ハッピーでポジティブってわけじゃない。
納得いかないこと、腹立つこと、悲しいこと、落ち込むことも今まで通り、ある。
なんでもかんでも良いとこしか見えなくなって、全部が自分の都合のいいように運ぶってわけじゃない。

以前はそのくらい振り切れた変貌を望んでいたけど、もしそうなったときって本当に幸せなのかな。都合の悪いことは見えなくなって、ネガティブな感情に蓋をして、「良いとされてる」こと以外シャットアウトしてしまうのって、本当は偏った「幸せ」に執着してしまっているだけじゃないのかな。

起こることにすぐ「いい」「わるい」とジャッジをつけるのではなく、粛々と経験をして、その時自分の中に湧きおこる感情を大切に味わう。
そのうえで、どうしても受け入れがたいことや理不尽な目に合っていると感じる状況であればブチギレちゃっても逃げちゃってもいいと思ってる(だめ…?)

ストレスがなくなる!完全なポジティブ!良いことしか起こらない!みたいな人、そういう教えとか、そういう本とか、あると思うんですけど、そういう考えにはちょっと距離を置くようになりました。
もちろん、自分がよりよくなるために、ポジティブでいられるような心がけや行動を実践することは大切。
だけどそうじゃなくて、「これだけしておけば幸せなことしか起こりません」みたいな、いろんな自己啓発本から抜粋しただけみたいな、耳ざわりのいい、表面的なことだけ言われても、少なくとも私には何の救いにもならなかった。
確実に訪れる「困ったこと」や「悲しいこと」に、その不安に、どう向き合うか、その心構えを知っておくほうが安心度が高いんじゃないかな。
「そんなこと考えちゃダメ!」、「落ち込んでても仕方ないじゃん」という考え方だと、無理やり違う方向を向かされるような気分になる。そういう言葉が必要な場面も確かにあるんだけど…。
違う方向に顔を向けたって、視界の端には消化できてないモヤモヤや傷が映り込んでくる。
だったら、最初からその感情をしっかり自覚して味わっていこう。

力を抜いて、起こることを受け入れて(もちろん心身や尊厳を損なわれるようなことからは絶対に逃げて)、自分に正直でいること、無理なことはしない。湧き出た感情を静かに見つめて、認める。他人にその気持ちを伝えるなら、よく考えてから。
こうしていられるようになったら、将来の不安も自己否定も、私を苦しめる日々の小さなモヤモヤからも自然と解放されていくような気がしてる。
同時に、他人の感情を尊重できるようになっていくのかもしれない。

まだまだこれからなんだな~、私って。

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