【考察】『鬼滅の刃』はジャンプの三大原則“友情・努力・勝利”を充たしているのか?

※直接的なネタバレは含みませんが、ジャンプ最新号まで読んだ上での考察記事となりますのでご注意ください。

アニメ化を経て、ジャンプ本誌でさらなる盛り上がりを見せる『鬼滅の刃』。
ちょっと笑ってしまうくらい人気だ。

なんか悔しいな、という謎な感情からアニメだけで済ませるつもりだったのだが、そんなことは到底無理だった。
漫画を読み始めてしまうと、無限に止まらない。

そんななか、漫画を読みながら考えたことがある。
『鬼滅の刃』に、ジャンプの三大原則である“友情・努力・勝利”は当てはまるのだろうか?

一般的には、『鬼滅の刃』は「ジャンプらしくない」作品だと言われることが多い。
だが一方で、約50年前から続く“友情・努力・勝利”というスローガンに、『鬼滅の刃』は原点回帰しているようにも思える

怒りや意志といった強い”感情”

まず最初の”友情”だが、少しアレンジをして”感情”として話を進める。
友情以上に兄弟愛や家族愛が描かれることが多い、という理由ももちろんあるが、とにかく描かれている”感情”が強いためだ。

『鬼滅の刃』で度々登場する表現として、“怒り”や”意志”がある。
特に死を覚悟するような戦いの場面で、走馬灯のように、過去への出来事に対する強い怒り、そして家族や先人たちから受け継いだ意志や願いがよぎる。それは人間に強い力を与える。

怒りや意志といった強い感情は、人間が有する一種の能力である。
鬼はその場の一時的な本能のまま動く。そもそも禰豆子を除いて、自分が人間だったころの記憶や感情はほとんど忘れているようだ。

ちなみに『進撃の巨人』は真逆である。『進撃の巨人』では先人の意志を受け継ぐことができるのは巨人であり、人間は記憶を失っている。
個人的には一時期『進撃の巨人』を読み込んでいたせいで、『鬼滅の刃』を読んでいる最中も、「一部の人間が鬼化しているのではないか」などと度々疑ってしまった。まんまとミスリードに引っかかった気分だ。

『進撃の巨人』も然り、昨今のアニメやドラマでは、強すぎる感情はバッドエンドへの伏線となっていることが多い
人付き合いが希薄になってきている今、友情であれ愛情であれ、感情というのもへの不信感が強い。勝利への鍵として感情を掲げると、いささか嘘っぽくなりがちだ。
だが『鬼滅の刃』は、人間の唯一の武器として感情を描き上げている。最近の作品としては極めて稀な例である。

この時代に“努力”している

『鬼滅の刃』のキャラクターたちは涙ぐましいほどの“努力”を積み重ねているが、これはこれで時代に逆行している

昨年開催された「おとなのジャンプ酒場」オープン記念イベントでは、ジャンプの歴代編集長らが”努力”について指摘「『友情・努力・勝利』と色んなところで言われるのですが、ピンとこない。努力がおかしい。」「漫画の登場人物も努力しなくなってきている」などと議論があったようだ。

そもそも“友情・努力・勝利”という言葉が生み出された約50年前、日本は高度経済成長期真っ只中であった。
高度経済成長期、人は“努力”という代物に対してもっとポジティブだったらしい。何せ、「しあわせは歩いてこない/だから歩いてゆくんだね」などという暴力的なまでの努力を強いる歌『三百六十五歩のマーチ』が大ヒットしたりしていた時代だ。冷静に考えてすごい。「ワン・ツー・ワン・ツー/休まないで歩け」なんて歌詞、今の時代じゃパワハラだ。

経済的に苦しい現代の日本では、いわゆる俺TUEEE系のように、”努力”よりも“チート”が好まれる傾向にある
おそらく仕事などで努力をしても報われなかった実体験があるため、逆に努力が報われているキャラクターを見ると「そんな簡単にいくもんか」と思ってしまうのだろう。いっそ異世界に転生してチート能力を得て、しあわせが歩いてきてくれる方が望ましいのだ。

一方『鬼滅の刃』のキャラクターたちは、チート能力の一切ない主人公・竈門炭治郎を初め、日々鍛錬を繰り返している。
それでも現代の読者が嫌悪感を抱かない理由は、”努力”が必ずしも報われるわけではないからだと思う。
いくら努力をしても、数多くの残虐な死に直面し、自身の肉体もボロボロになっていく。「吾峠呼世晴先生は残酷だ」などと評しながらも、実は現代を生きる私たちは、その必ずしも報われない努力に共感しているのかもしれない。

悪役を徹底する悪役

『鬼滅の刃』ではどの戦いにおいてもあまりにも犠牲が大きくて、“勝利”と断言することに迷いもあるが、それでも私は“勝利”という言葉を残しておきたい。
というのも、鬼舞辻無惨が悪役らしい悪役だからだ。

ここ数年のヒットコンテンツは、敵味方が曖昧だった。
敵だと思っていた人が味方だったり、逆に味方だと思っていた人が敵だったり、挙句の果てに主人公の立場が変わることすらある。そう、『東京喰種』が典型的だ。

その点、鬼舞辻無惨は徹底的な悪役だ。
行動も悪役だし思考も悪役。しかも悪者に陥った経緯すら、特に同情できるストーリーではない。
勧善懲悪を目指している久々の作品として、今後への期待も込めて”勝利”は残しておこう。

『鬼滅の刃』のスローガンは“感情・努力・勝利”

『鬼滅の刃』は、昨今ヒットコンテンツで避けられがちだった“感情・努力・勝利”を、正面から描きあげている。
だから先が読めない。だから面白い。

果たしてこの先、どのようなストーリー展開を見せていくのだろうか。

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