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選択。

 雨が降っていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は心の雨でずぶ濡れになっています。

 今日は朝から自分との約束通り大学の応募書類を作成しました。今のところ幅広で40近い大学の募集案件を候補として一旦リザーブしているのですが、そこからさらに絞り込んで応募書類を作成しています。前回の公募の時は雇用期間がないところばかり選んでいましたが、今回は一旦有期雇用で将来無期雇用に変更される可能性があるというところも応募しています。逆に前回は応募できなかった条件で「大学での教育経験がある人」というのがあったのですが、今回私は5年の教育経験があるのでその部分で応募の枠が広がっています。提出書類の中でも教育実績の提出を求められるところが多いので、それがバッチリ書けることは前回よりも少し心理的有利に働いているような気がします。

 一方、書類のフォーマットは相変わらず大学によってバラバラなので、作成に苦労します。応募書類のフォーマットの多くがワードで作成されているのですが、微妙にフォントが違っていたり、年月日を入れると2段になってしまう枠取りだったりと結構細かい調整が必要になったりします。できればグーグルフォームで簡単入力でエントリーみたいにして欲しいのですが、なかなか難しいですかね。でもおそらく受け取る事務局もグーグルフォームの方が集計しやすいと思うのですが、そう簡単に右から左へハイと変わらないの大学なんでしょうね。それでもなるべく先方の意向に沿う形で書類作成を進めています。

 今回もし最初に面接を申し出てくれた大学に採用されたら、それで公募戦士は卒業しようと決めました。もちろんこれまでの私であれば、いろんなところに応募して一番条件のいいところや知名度・大学のレベル等を考えて、その中から最適解を見つける作業をしていたと思います。でも、今回は最初に決まったところに行こうとさっき決意しました。みなさんにもAかBかという選択を迫られることはよくあると思います。むしろ人生は選択の連続といってもいいかもしれません。選択はどちらかを選び取るともう一方を捨てる必要がありますよね。普段の生活で選択して、片方を捨てたとしてもそれほど大きなダメージを受けることはないと思います。ところが、全く矛盾するAとBとかあるいは逆にAもBも同じぐらいに大事だという時、この選択は本当に悩みますよね。いくら考えても結論が出ず、精神がどんどん疲弊していくことがあります。昨日はAと決めたのに今日になるとBになったりとにっちもさっちも行かなくなってしまうこともしばしばです。挙げ句の果てには、AとBの両方を得る方法がないかを探り始めて「こんな方法考えられる俺は天才か。」と訳のわからない自画自賛をして、その選択の苦しみから逃れたりしたりもします。そして、大抵はどちらかを選択して、その選択した自分を意味づけしたり正当化したりして、あの時の選択は自分にとって価値があったや正しかったと言って後から振り返るのがオチではないでしょうか。私も常にこういう選択をやり続けてきました。

 ところが、今回いろいろあってずっと自分のことを振り返る内観を自己流でしているのですが、はじめてAかBかという選択そのものを選択しないという選択肢を選ぼうとしています。つまり、AもBも選択しないのです。これは結構勇気が要ります。特に両方とも私にとって大事な選択肢であればあるほど、その両方を選択しないという選択はこれまで経験したことがない未知の領域です。まだ、はっきりと見えているわけではないのですが、両方を選択しないことでうっすらとCという選択肢がありそうだという予感がしています。ただそのCという選択肢はおそらく「AとBの両方を選択しない」と私が明確に意思決定しない限り、絶対私の前には現れないということだけは確信しています。なので、今回の大学公募も最初に面接に呼んでくださる大学に採用が決まれば、そこに行こうと思ったのが今回の選択の経緯です。この選択に至った詳しい経緯については、長くなりそうなのでまた別の記事で記載します。

 これから大学教員になる人にはあらゆる選択肢を探しつつ、時には全く選択しないという勇気も持ち合わせた人になってほしいと思います。自分もそんな大学教員になれるようにがんばります。

(私の生き様がプロジェクトXで取り上げられないかなと密かに思う元准教授でした。中島みゆきさんの歌がしみる〜。)

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