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無邪気。

 相変わらず昼間は気温が高いですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は汗だくになりながら走り回っています。

 今日も1日とある家のかたづけをしていました。いつものように朝ドラを見て涙を流してから、労働スタートというパターンを繰り返しています。

 昨日倉庫で古い自転車を発見しました。まだ乗れそうだったので、今日空気が抜けていたタイヤに空気を入れて走ってみましたが、やはりパンクしているようで、すぐに空気が抜けてしまいました。そこで、近くの自転車屋さんに持ち込んで修理をお願いしました。結局チューブもダメだったみたいでそれも交換してもらったらかなりの出費になりましたが、久々に自分専用の乗り物を手に入れたので少し興奮してしまいました。大学教員を辞めた時、ありとあらゆるものを処分しました。その中には愛車もあって時折街中で同じ車種の車を見かけると、私の愛車は今頃どこかで元気に走っているのかなと思い出して、いつも悲しい気持ちになってしまいます。全てを処分してしまったので移動手段はもっぱら歩きしかありません。電車もたまに乗りますが、お金がないのでどうしても乗ることに抵抗感があります。カード払いが怖いので交通系ICは使わず、わざわざ切符を買って現金が減ることを実感しながら乗っているので、なおさら抵抗感が強いのだと思います。なので、多少の距離では電車に乗らず、ひたすら歩いてなるべく交通費をかけないように努力するのが日常のスタイルになってしまいました。おかげで体が引き締まりましたが、財布の紐はずっと引き締めぱっなしです。

 ここ何ヶ月間ずっと歩いていたので、久々に自転車に乗るといかに移動が楽かということを改めて実感しました。そして、自転車があればどこまでも行けるような気がして、まるで小学生の時に初めて自転車を手に入れた時のようなワクワク感を感じました。用もないのに少し遠めのスーパーに行って、何も買わずに帰ってきたりしてしまいました。こんなワクワク感を感じたのは、本当に久しぶりです。たかが、自転車一台でオッサンが何を興奮しているんだと思われるかもしれませんが、私にとってはとても重要な学びを与えてくれたような気がします。

 大学教員の頃は、新車をブイブイ言わせて時には遠方へのドライブもへっちゃらという感じでした。目の前の車がトロトロ走っていると思わず煽るか追い越すかしていたので、本当に悪質なドライバーだと大いに反省しています。それだけ快適な移動手段がありながら、どこか違和感を感じていたのはおそらく「こんなに偉いのだから、これくらい車に乗るのは当たり前でしょ。」みたいな傲慢な考えをしていて、それが態度に出ていたからだと思います。今から見れば本当に嫌なやつだと思います。ところが、全てを失った今、オンボロ自転車を乗り回している自分がとても愛おしく思えて、なぜか涙が溢れてしまいます。泣きながら自転車に乗っている人もかなり怪しいひとだと思いますが、子どもの時の無邪気な心を、この年になってもう一度感じることができる自分がとても素敵に思えるのです。こんなことを言っている私をみなさんはどう思われますか?もし、私の大切な人がそんなことを言ったら、私はもっと好きになると思いますが、みなさんはいかがでしょうか。

 大学教員はある意味、知識の世界での最高峰を目指している人がほとんどだと思います。もちろん私も頂上を目指したいという気持ちはあります。しかし、その一方でたとえそれほど高くない山であっても、登っている本人が達成感やワクワク感を感じるのであれば、それはそれで当の本人にとってはとても重要な意味があるのでないかと私は考えます。新車で颯爽と目的地に向かうことも、オンボロ自転車で当てもなく近所をウロウロすることも、私の人生に彩りを与える重要な演出だと思います。今はオンボロ自転車しかありませんが、再び大学教員になって新車に乗れる日が戻るまで、この愛車とともに人生を無邪気に走り抜けたいと思います。たとえ新車に乗り換えたとしても今日のこの感動をいつまでも胸に刻んでおきたいと思いました。

 これから大学教員になる人は常に無邪気な心を持つ人になってほしいと思います。私も欲まみれではなく、純真無垢な心に素直になって、自分と自分の大切な人と無邪気な笑顔が交わせる日々を、必ず取り戻すと心に改めて誓いました。

 (朝ドラと同じように私の師匠から連絡があって、あたふたした元准教授でした。先生今は私をそっとしておいてください。)


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