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生まれ直しにあたって

母が自分の父を亡くしたのは、母が58歳のときだった。
父が自分の父を亡くしたのは、父が64歳のときだった。



先日、父が逝った。
65歳になったばかり。初めての年金も、貰ったのだか貰えなかったのだかわからない。
20歳から45年間せっせと払い続けてきたのに。くちばしの短い人だなあ、と思う。


関係の良くない父娘だった。


私が20歳を越える頃にはまともな会話はほとんどなくなっていた。
意識して顔を見ないようにもしていたので、社会人となって家を出てから約10年、ほとんど目も合わせていない。
だから、私の記憶の中の父はまだ50歳そこそこ。まだ肌は張りもあったし、髪は黒々としていた。

棺の中の父はほとんど白髪で、顔には年齢なりの“くたびれ”が浮かんでいた。



誰も幸せにできないまま逝ってしまったのだな、と思った。
私が憶えている父は、母を怒鳴りつけたり、泣かせていたり、私の胸ぐらを掴んで暴力を振るっていたり。

正直、幸せな記憶はあまりない。

ただ、それが父のすべてだというわけではない。私自身にも色々な顔や気分があるように、父にも愛情深い顔や心優しい一面もちゃんとあった。
嫌な記憶がその事実を上書きしてしまっていたというだけで。



「人間、悪いことをするとバチが当たりますよ」と、多くの人が子どもの頃からそう学ぶ。
だから、私は父を幸せにするわけにはいかないと思っていた。

好き勝手に生き、暴力を振るい、母を傷つけて苦しめてきた父が幸せになるのはおかしい。悪いことをした人間はそれなりの報いを受けなければならない。

“娘に愛される”という幸せは手放してもらうことにした。
この10年、私は父がはじめから存在しないかのように生きた。




「せっかくだから、最高の形で送ってやりたい」
母の希望により、納棺にはわざわざ納棺師を呼び、葬儀にもたいそう金をかけた。

綿で形作られた袴を身に着けさせ、用意できる限り最高額の棺に入ってもらった。

何人もの人々が泣いていた。



なんだ、関係ないじゃないか。そう思った。

悪いことをしたらバチが当たる、とか
周りを幸せにした人こそ幸せになるべき、とか
頑張っていればいつか報われる、とか
人を傷つけたらやがて自分に不幸が返ってくる、とか

そんなこと、どうだって良いことだったんだな、と。

人を傷つけた人間が幸せになったって良いし、
人を愛さなかった人間が愛されたって別に良い。
幸せにしてくれた人に幸せをお返しする義務も本当は無いし、
ずる賢いやつが清廉な努力家より良い目を見たって別に構わない。

世界は、因果の筋が美しく通るようにはできていないのだ。
ぜんぶ、どうだって良いことだった。



だったら、もっと仲良くすれば良かった。

ちっとも私を幸せにはしてくれなかったけど、そんなことは関係なく、幸せにしてあげれば良かった。
お父さんと呼んであげればよかった。

私と話したそうにしていたのに。
応えないことで罰を与えていると思っていた。
そんなことどうだって良いのに。どうだって良いことだったのに。



父を亡くした私はいま、34歳だ。
思ったよりずいぶん早くページを捲られた気分でいるので、父と母が自分たちの親にしてやったように上手く見送りはできなかったかも知れない。
でも、それもきっとどうでも良いことなのだろう。


うまく言葉が見つからない。




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