(劇評)王の野心に付き合わされる兵士たちの悲哀
新国立劇場「ヘンリー五世」の劇評です。
2018年5月26日(土)17:30 東京・初台 新国立劇場中劇場
15世紀前半、25歳でイギリス国王に即位したヘンリー五世がフランス軍を打ち破り、敵国の王女キャサリンを妃に迎えるまでを描いた歴史劇「ヘンリー五世」(作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳:小田島雄志、演出:鵜山仁)が5月17日〜6月3日に新国立劇場中劇場で上演された。主な俳優陣はタイトルロールに浦井健治、キャサリンに中嶋朋子、庶民ピストル役に岡本健一といずれも新国立劇場シェイクスピア歴史劇シリーズの常連が顔を揃えた。笑いと乱痴気騒ぎのオブラートに包みながら、野心に駆られて若き王が始めた戦争に付き合わされる兵士たちの悲哀を面白おかしく表現していた。
2016年に同じ劇場で上演された前作「ヘンリー四世」では、ハル王子(のちのヘンリー五世)は庶民の世界に身を置き、酔っ払いのフォルスタッフやバードルフ、ピストルらと親身に付き合っていた。今回の作品では、即位した王は、もはやかつてのハリーではなかった。死の床についたフォルスタッフを一度も見舞わなかっただけでなく、戦場で聖画を盗んだバードルフの死刑を冷然と黙過した。王として成長するにつれて、庶民の世界から決別していったハリーの変貌を通し、シェイクスピアは権力とは何かを問うている。
舞台上には荒涼とした岩場が出現し、両軍が激突したフランスのアジンコートを思わせる。左右には木材を乱雑に組み合わせた高さ約10メートルもの見張り台がそびえ立っており、向かい合った一対の巨大な怪物にも見える。
領土を要求してきたイギリス国王に対し、フランス皇太子(木下浩之)は大量のテニスボールを贈り物として届けさせた。それは即位前のハリーが遊蕩三昧にふける青年だったという噂を聞いていた皇太子からの嘲笑に満ちた拒絶の回答だった。今回の鵜山演出では、ヘンリー五世が怒りに任せて宝箱を蹴飛ばすと、中から大量の白いボールが四方八方へと転がり出た。その放射状の中心に立った王が片足で空っぽの箱を踏まえながら、皇太子にきっと後悔させてやると戦勝を誓う姿はビジュアル的にも格好良く、あたかも能や歌舞伎で土蜘蛛が千筋の糸を吐き散らす名場面のように見応えがあった。
とはいえ、王も強気一辺倒ではなく、合戦当日の夜明け前には黒いマントに正体を隠し、兵士たちのテントを訪ねて本音を聞いて回ったりする。その中で、ピストルは相手が王とは気づかずに「王はいいやつさ。大好きだ」などと熱狂的な支持を表明した。また、戦争における王の責任問題について兵士たちと議論を戦わせるが、ヘンリー五世は「王は兵士に戦うことを命じるが、死ぬことは命じていない」「したがって兵士の死は王の責任ではない(兵士の自己責任だ)」と主張する。この意見は現代風に言えば、過労死するまで働かせても雇用者に責任はないという新自由主義の高度プロフェッショナル(高プロ)制度にまでダイレクトにつながりそうで苦笑させられた。
やがて戦争に勝ち、英仏両王による和平交渉。このシーンはローレンス・オリヴィエ監督・主演の映画「ヘンリィ五世」でもBBCテレビのシェイクスピア・シリーズでも、仏との外交関係に配慮してか、両王を並んで立たせていた。今回の演出では玉座にふんぞり返るヘンリー五世に対してフランス国王以下は終始立ちっ放し。勝者と敗者の違いを残酷なまでに際立たせていた。
結末でヘンリー五世は英語の通じないフランス王女キャサリンに対して一生懸命に求愛する。考えようによっては若い二人による微笑ましいエピソードだが、実際には戦勝国の王が敗戦国の王女を妃に迎えることで占領統治を安定させようとする政略であり、キャサリンの意思がどうであろうとも結果は同じこと。今回の作品では、おびえて視線をさまよわせる中嶋に対し、浦井の目付きは苦労して手に入れた獲物を睨みつける野獣のように獰猛だった。
結婚を決めた王が栄華の絶頂に立った時、自ら進んで従軍したピストルはどうなったか? 戦友のニムやバードルフはすでに窃盗罪で処刑され、ロンドンの下町に残してきた女房のネル(那須佐代子)も悪い病気で死んだという知らせを受け取り、失ったものの大きさに茫然自失。年老いた彼は、これから女郎屋で働き、他人の財布を狙うしか生きる道はないと悲愴な決意を固めるのだった。
そもそも庶民である兵士たちは、戦死して異国の土となるか、尾羽打ち枯らして帰国して貧困に喘ぐか、いずれにしても自分の首を絞めるだけなのに、なぜ嬉々として王を支持するのかという疑問を抑えきれなかった。しかし、それは果たして約600年前の中世イギリスに限った話だろうか。劇場を後にした私の耳には、現代日本の衆院厚生労働委員会で企業が労働者を奴隷のようにこき使えるようにする働き方改革の高プロ制度が可決されたというニュースが入ってきた。権力者を無批判に、むしろ心から喜んで積極的に支持してしまう庶民たちの苦しみは、決して絶えることがないようだ。
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