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良い心とその行い


先月の15日からkindle本を出版していますが、
今週から、ペーパーブックも発売されました。
(ヤッホー!)
これ、途中に何度か挫けそうになってしまいましたが、
アマゾンのカスタマーサービスの人の忍耐深い対応によって、
なんとか出版に至りました。
カスタマーサービスの人、ありがとうございました。
「こいつ、パソコンできねえなあ。」と思われたことでしょう。
私もそう思いましたよ、自分で。
あー、でも良かったー。

と言うことで、
(どういうことだろう?)

11日から無料キャンペーン始めます。
日本時間の夕方5時開始です。
15日まで、無料で読むことができます。
(あっ、電子書籍の方だけね)
どうぞよろしく!!



それでは、
長い長い本文のスタートです。
(長過ぎるかも)
===========
神様の事を思う心は生きていて
思わない心は死んでいる。
生きている心は、神様の事を思う事により平安を得るが、
神様の事を故意に思わない心には、悪魔がとり離れ難い友となる、

というところで前回は終わりました。

こんにちは ファーティマ松本です。

心をきれいにするのは、体をきれいにするのと同じくらい
いやいや、それ以上に大切なことです!

”きれいな心の持ち主”
というのは、良いことや良い行いが好き。
人が傷つくような事を、わざわざ言ったりはしませんし、
人が嫌がる事をしたりもしません。
周りの人を思いやる気持ちを持ち、
人のために何かをやりたい!と思っているはず。

きれいな心、、、

ちょっとだけ想像してみてください。
私たち全員が、みーんなきれいな心の持ち主であったら、、、
学校や
会社や
いろいろなサークルや
SNSのようなネットでのお付き合い等で
私たち全員がきれいな心でもって、行動をできたら
この世はどんなに住みやすい場所になるでしょう。

みんながみんな、良い心で良い行いをする、
そんな世界は、もうすでに天国にいるかのようなものです。

そーんな”きれいな心”を手に入れる方法!
それは、ただ一つ!
心に神様に対する”愛情”を入れるしかありません。

神様に対する愛情とは、
神様からの諸々の恩恵に感謝をしたり、
神様が”良し”とされた行いを、喜んで行ったりすること。
また
そうすることによって、もっと神様に近づこうとすること、
だと思います。

愛情を持つのと同時に、
神様の懲罰を畏れる心も必要です。
畏れるは、恐れるとは違います。
恐れるは、嫌なものに対し「ヤダヤダ!怖い怖い」と思う感覚ですね。
でも畏れるは、嫌なものに対する恐れではありません。
神様という、人間のレベルからかなりかけ離れた尊きお方に対する”畏敬”の念。
つまり
神様の懲罰を受けないよう
禁じられたことはしないようにしよう!と思う気持ち
といってもいいかもしれません。

心の中が、神様に対する愛情と畏敬の念でバランスが取れているのが
ベストな状態です。
きれいな心の条件と言えるでしょう。


きれいな心の持ち主は、
全てが ”自分と神様との関係” の上に成り立っています。

どういうことか?

つまり、一番大事なのが”自分と神様との関係”です。
良い関係が保たれているか?
神様に愛されているか?
喜ばれているか?
嫌われていないか?
そして、、、


その一番大事な関係である神様に「喜ばれる」ために

周りの人と良い関係を保とう!
周りの人に良くしよう!
周りの人に嫌なことを言わないようにしよう!
そして
周りの人に何か嫌な事をされたり、言われたりしても
許そう!と
思うわけです。

常に心にあるのは、神様に「喜ばれる」行いをすること!
決して人によく思われようとか
それが社会のルールだから、
とかではなく、
自分の言動が「神様に好かれる事か、喜ばれることか。嫌われることか」
というのが、己の行動の判断の基準であるわけです。


さて、ここで問題になるのが
「何が喜ばれることか」そして
「何が嫌われることか」を知らなければなりません。
でなければ、良かれと思ってしたことが、神様目線からは
とてつもない悪だった、という事態にもなりかねませんから。

例えば、メディアなどでお騒がせするテロなど、
神様的には全く、宜しからぬ行為であるけれども
やっている本人にしたら、良いことをしていると思っているのかもしれませんから。

または、小さい決まりに超うるさい人達。
(これもイスラム教徒の中に多そうだけど)
「ダメよ、それじゃ」とか「こうしなきゃダメだからね」
みたいな、、・
たとえそれが正論であっても、神様はそのような態度は好きではないはず。

預言者ムハンマドさん(平安あれ)はおっしゃいました。
「アッラーは全てに於いて、優しさを好まれる」

昔のイスラム教の学者さんもまた、こうおっしゃいました。
「優しさは、正しさに勝る」

正論をかざしてガンガン言いまくっても、そこに優しさがなければ人はドンドン離れていくでしょう。

こんな話があります。

ある時、ある人が預言者さん(平安あれ)に言いました。
「あそこに住む女性は、礼拝も断食もたくさんするし、貧しい人にもお金を与えています。
 しかし人に対しひどく厳しい言動をとるようです。」
それに対し、預言者(平安あれ)は
「彼女の住処は地獄である。」とおっしゃいました。
続いて、また誰かが
「あちらに住む女性は、礼拝も断食も特に際立ったものではありません。
 しかし周りの人と良い関係を保っています。」
それに対し、預言者さん(平安あれ)は
「彼女の住処は天国である。」と言われました。

礼拝のように重要な宗教的行いよりも、
周りの人に対する暖かい態度、優しい言葉、寛大さなどが ”優れている” と、
思わせる話が、他にもたくさんあります。
(いつか機会があったら、いくつか紹介したいと思います)


神様は、とてつもなく優しく慈悲深いお方。
みーんなにも、優しくなってお互いを好きになってもらいたいのです。

何しろ、神様が私たちに望む一番の事って、、、

なんだか知ってますか。

それは
「人の心に幸せを与える事」
らしいです。

預言者さん(彼の上に平安あれ)はおっしゃいました。
「アッラーが最も好きな行為は、他のモスリムを幸せにすることだ。」

他にもたっくさんアッラー(神様)が好きな行為、というのはありますが、
どれをとってみても、
周りの人への優しさ、寛大さ、穏やかな態度、愛情ある言葉
親切な行為、怒りを抑えること、等
そのような態度が強く奨励されているのです。

ですから、周りの誰かが何かよろしくないこと、
又は正しくないことをしてしまっていたとしても
それをガンガン攻めるのは、イスラム的ではありません。

人は変わります。
間違いを犯してしまっている人は、もしかしたらいつの日にか良い行いをする人になるかもしれません。
その人は今はちょうど、転換期にいるのかもしれないのです。
悪い所から、良い所へ向かっている最中な だけかもしれません。

そういう人に対して
「あー、ダメだ、これもダメだ。何やってるんだあ!」
と攻め続けるのは、元の悪い所へ押し返してしまうようなものです。
(ちなみに私も転換期真っ最中ですので、色々と多めにみてやってくださいませ(#^.^#))

私たちはついつい、人を見るとき”良い人か悪い人”かと
勝手に判断してしまいます。
しかし、完璧に良い人間なんていませんし、
完璧に悪い人だっていません。
勝手に他人を判断する事は、避けたいものです。

神様からの愛情や許しを得るために
人を許し、人に寛大で、人に親切に、人に愛情をもって接していく人。
それが、神様との関係を一番にしている人の特徴。
そして”きれいな心”の持ち主、だと思います。




今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!

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※5星レビューが9件もつきました。(o^^o)*
レビューを書いてくださった方々 どうもありがとうございました!!

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