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尊厳とキャリア

最近、昔に比べて自分のキャリアのことが好きになってきた。好きになってきたというよりかは、愛おしくなってきたと言うべきか。

ここで言うキャリアというのはプロレスラーとしてのキャリアだけを指しているわけではなく。
自分の人生全体のキャリアについてだ。

そう感じられるのはいよいよ、40歳という年齢が見えてきたからからだと感じる。

なんでもかんでも自分自身の節目を10年毎の単位で区切りにしなくてもいいとは思うけども、〇〇代という呼称はほぼ毎日のようにどこかしら聞こえてくる。年齢を聴かれて答えれば「あ、結構いってるんですね」という攻防が一体何のパターン反応なんだろうと思えるくらいに頻出する。

遂に40かあと思う。自分の将来を考えることは若いときによくしていたけど、30歳以降にどうなっているかなんて考えられなかったように思う。

20代の頃、失敗と思える体験が続き過ぎていた。「30までに何か残さないと」との想いは果たせぬまま、あっという間に30歳になっていた。何者でもないという焦燥感が全身を纏っていた20代。ひたすら自分の人生はしょっぱかったような気がする。とは言え、しょっぱいだけの出来事ばかりではないのだが、ざっくり言えばしょっぱいと総括出来るものだった。

20代は就職した先で何も通用しなかった挫折感が強く残っていた。この挫折感を早く拭たくて仕方がなかった。

30歳を過ぎたころだろうか。どこかで観念した。
諦めたわけではなくて「無理矢理挫折感を拭い去ろうとすること」を観念したという意味だ。

流れていく時間に身を任せてみた。
一つずつ与えられた仕事に取り組んだ。
多忙な方だったとは思う。気を抜けなかった。
金もなかった。逆に言えば金がないことで変な遊びはしなかったように思う。使えることは使える範囲で、常識の範囲だった。だからよかったんだと思える。

好きだった映画鑑賞、映画館通いは飽きずにずっと観続けていた。

何故かトレーニングも歳を重ねる度に身が入るようになっていく。

諦めに似たはずの観念。自分で観念したはずなのに、歳を重ねるとこれまで取り組んできたことが積み重なって形に出始めることがある。

ただ制作に追われるだけだったVTR制作は場数を踏んだこともあるのか、自分の型が作られていった。外さないポイント、何を抑えるべきかは肌感覚で分かるようになってきた。

その場数はいつのまにか積み上げになっていたように思う。
高所トレーニングのようなものだった。
作ることへのプライドや自我が芽生えた。そのラインは自分自身の規範でも守っていくしかない。

視線が積み重なっていた。
映画鑑賞、読書などまあ人並みに観たり読んだり。自分の芸の肥やしになったらいいなと思って習慣になっていた。

引き出しの中に沢山観てきた作品たちが眠っている。たまに引き出しから開けてみると役に立つ。引き出しにそれがあるということを積み重ねたのだろうか。

こうしたことを続けていき、内容を覚えていないものもたくさんあるのだが、映画のパンフレットに寄稿の依頼が来たり、書評の依頼が来たり。レスラーや映像以外の仕事もお願いされることが嬉しい。

それ以外にも発見は沢山あった。
実体験と肌感覚を擦り合わせていくと傾向が見えてくる。
それは日々更新されていく。

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