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憧れマップを歩いて

9月17日、後楽園ホールのプロレスリング・ノアの興行でウィル・オスプレイ選手が丸藤正道選手とシングルマッチを行なっていた。後楽園ホールは超満員札止めで、多くのファンがそのカードに魅了されチケットを買っていた。オスプレイ選手がファンの頃に丸藤選手に熱視線を注いでいたという経緯がある対戦カード。今や世界を股に掛けるオスプレイ選手が自身のキャラクターや立場、団体の壁などを超えてその熱視線と記憶を基に物語っていく様子は新鮮にも映ったはずだ。

一方、その頃。今成夢人は船橋ゴールデンプロレスという無料イベントで桜庭和志選手と試合をしていた。
ひょんなところで出会った島田裕二さんの粋な計らいだ。島田さんの生き方も、また魅力的だ。

船橋の屋外イベント興行でツーショット実現

言わずとしれた"グレイシーハンター"としてホイラー・グレイシーやホイス・グレイシーらと歴史的一戦を残してきた桜庭さん。

2000年前後、プロレスと総合格闘技の違いが分からなかった僕は「プロレスラーが出ているから」という理由でPRIDEのテレビ中継もVHSで予約録画するようになっていた。大人になってから後に、当時の新日プロにはA猪木さんの強権発動で格闘技色の強いカード編成をしなくてはならなかった背景や、新日プロの選手が総合格闘技のリングに出向せねばならなかったという理由があったことも段々と知っていった。少年今成がプロレスと総合格闘技を隔てることなく、同じものとして見るようになっていたのはこのVHSの中に様々な番組を録画していたからだ。自然とサンプリングをしていたのだった。

御多分に洩れず、僕も桜庭さんに影響を受けた一人でもある。
UFC JAPANヘビー級トーナメントの「プロレスラーは本当は強いんです」というマイクには本当に心を撃たれたし、ストロングマシンのマスクで入場するというパフォーマンスにも心躍った。

そういったプロレス的なものを自然体のまま混ぜていく桜庭さんの方法論に影響を受けた人は少なくないと思っている。
そんな桜庭さんの存在は当時中学生だった僕も「高校に入ったらレスリング部に入ろう」と強く思う動機になったと思う。

憧れていた人と闘う、テレビで観ていた人と闘うという物語は創りやすい。
そして、37歳の現在、38歳になる目前でその物語が完結した感がある。

大谷さん、カシンさん、高岩さん、サスケさん、大仁田さん。
みんな深夜のワールドプロレスリングの録画によってその認知し、実際に会場に足を運んで目撃していた人たちだ。

VHSの録画で何度もテレビに釘付けになる。自分の手作業で録画したビデオテープは自分でも思っている以上に、記憶の奥深くに焼き付いている。直接ビデオを掘り起こさなくても、自分の脳内で再生ボタンを押すことが出来て、自由に巻き戻しや早送り、スローといった機能を変幻自在に使っている。そしてその脳内にある記憶を、自分の今現在の記憶と肉体とに接続して物語にしてしまう。それがこの「憧れ編集」という特殊能力によって次々に現実として実現されていった。

ビデオテープによって録画された記録は自分の中に眠る強い記憶に変換され、自分の生きていく上での地図(マップ)となっていた。
そのマップは今、自分に夢のような感覚を与えてくれるものである。10代の頃に観ていた人たちと試合をするということそのものが夢のようなものを浮かび上がらせるシステムとして非常によく出来ていた。

このマップがあったことで僕はこの30代の時間を救われたような気がした。
どれだけ収入が上がらなくても、どれだけ社会的な身分がなかなか上がらなくても、この夢のマップの道からは大きくズレてはいない。
沢山引け目に感じる部分もあるけど、この夢のマップがあるからこそ、悪くないぞ、いい人生だぞと言い聞かせることが出来た。
それは自分をシングル王者になるまでの肯定感として繋がっていたように思う。

「○○歳だった自分に教えてあげたい、俺は○○と試合しているぞって」
という構文を何度も使うことが出来ている。その構文のダサさはもちろんあるけど、そう思える記憶の熟成は不思議と悪い気がしないものだ。

それが今回、桜庭さんと闘ったことで、その文脈が遂に完結したんだと感じた。
逆に言うと、これからはそのマップを埋めていくことで生きていくということは出来ないとも感じた。

桜庭和志さんに絞め落とされる筆者

もうすぐ38歳。40歳からの生き方を朧げながらに定めていきたい。
どうやって生きる?何を大事にして生きのか?どうやってお金を得ていく?
いろんなことを考えると現状維持をするという選択はもう出来ないかなと思った。
だから色々と自分にテコ入れをしつつ、変えていくことを恐れずに進めていかないと。

それでも37歳でこれだけ自分の憧れマップにチェックマークを入れられたのは相当にありがたい歩みをさせてもらっている。
ちょっと例え方は悪いかもしれないが、ビンゴ大会でビンゴをした感覚。
自分の記憶がマップを作って、一つずつそれを埋めていった。
そのマップが出来ていなかったら、今頃、足掻き苦しんでいる人生だったかもしれないとも思う。
それは指針がないからだ。
その指針は自分の少年時代の記憶が作っていた。
それは記憶に対して素直にいられたということもある。

憧れていた、好きだった、という感情に素直になれたから紡げたと感じる。
変にカッコつけず、今も素直に向き合えたことで自分の記憶が最高のご褒美になっていたように思う。

うん、上出来です。
ありがたい。

このマップを埋めたことで心置きなく次に進めそうだ。

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