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完璧主義の皮をかぶったり脱いだりできたら・・

完璧主義者なわたし

私は自分自身を完璧主義者だと認識している。
昔から「~べき」という基準にむしばまれている。

良い点は、この許せなさが結果的に改善や成長につながったことだ。
もっと勉強しなきゃ、もっと働かなきゃ、というある種のモチベーションになっていた。

ただし、これは人間関係にも影響する。

自分に対しても他人に対しても、自己基準(自分の中の常識、と言い換えてもいいかもしれない)を満たさなかったり超過してしまってるときには、この許せない気持ちは怒りへと姿を変える。

そして、健康にも影響を及ぼす。

正直、これまでに何度も「生きづらさ」を感じることがあった。

生きづらさの原因は自分の中に

今から6年程前、入社して1年目の時、会社でうまくいかないことが続き、一種のうつ状態に陥ったことがある。その時母親に言われた。
「あんたは理想が高すぎる。自分を高く見すぎてるよ。」
当時、私はこの言葉に強いショックを覚えた。
まるで身分相応だわよとけなされた気分だった。
(あんた、そりゃタンポポが歩けるわけないでしょ 的な。。)
ただ、悔しい反面、なんだかほっとしたことをおぼえている。
ああ、私は今難しいことをやっているからこんなに疲弊しているんだと。そりゃつまようじもって戦場で戦ったりなんてできないな、と不思議と納得した。

と、前置きは長くなったが、
オーストリアにきて、同じような状況に遭遇した。その頃、小さなことだが、学校のプレゼンで思ったようにうまくいかず落ち込んでいたとき、
ルームメイトから

「理想が高いんじゃない?」

と言われた。そして、気づかないうちに自分にとても厳しく当たっていたことに気づいた。テスト、プレゼン、人付き合い、金銭管理等、常に全力投球で、どれも手を抜くことを許していなかった。

今でも同じような状況を繰り返しているということは、
生きづらさを感じるのに環境は関係なくて、自分自身のあり方次第なんだと改めて気づかされた。

ポリシー

完璧主義であること自体を、否定しようと思わない。あくまで他の人と比較したうえでの特徴の一つなんだから、と割り切っている。

ただ、当たり前だが、使えるリソースは限られている。時間も体力もお金も。そろそろ本腰を入れて、「意識的に」このリソース配分をコントロールする訓練をしなくちゃいけないなあと。

ただ、いつ、どこに、どれくらい自分のリソースを割くかを決めるのは、ある種自分の中にあるポリシーだ。軸、ともいえるのかもしれない。

私は何に対して命(時間)を削りたいのか?

自問自答しながら、自分なりのポリシーに沿って完璧主義の皮をかぶったり脱いだりしていきたいなと思う。

もしもどこかでこれを読んでるあなたも完璧主義で生きづらさを感じることがあるとしたら・・

生きやすくするためのポリシー

持ってますか?