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完ぺきな親じゃなくて良い

母が入院してもう10ヶ月になる。
コロナのせいもあり面会も出来ないままだが、会ったところで私のことはもう分からない。産んだことすら覚えていない。
いわゆる認知症である。

お医者様が言うには認知症の中でも重度で、残念ながらもう私の知っている母が戻ってくることはないようだ。そのことで一番辛いのは人の世話になるのが大嫌いな母自身だろう。母の部屋を整理していたらいくつもの殴り書きが見つかった。

みじめだ
死にたい
申し訳ない

たまに意識がしっかりしている時があったのでその時に書き残したのだろうか?あちこちの隙間に隠すように挟まれたたくさんの小さなメモに胸がつまった。

母はじっとしてるのが嫌いで、私が小さい頃も習い事をしたりコーラスに参加したりする一方で、地域の子供のために沢山の絵本や児童書を集めて貸出なども行っていた。

家では本当に面白い人で良く話のネタにさせてもらった。いわゆる天然で笑いの取れる逸話が多かったのだ。

元々家事が嫌いだった母はやがて仕事に夢中になり、私は晴れて鍵っ子となった。と言ってもネガティブな要素はなく、かえって何でも自分でやる癖がついたし手のかからない子と言われることを誇らしく思っていた。
一人が寂しいと思ったことはないし、むしろ一人の時間がないと息が詰まる。

この母にしてこの子あり。
完ぺきでない親の凸凹に合わせて、子供も穴を埋めるべく凸凹に育つようだ。


歳を取り仕事を辞めてからも庭で花の手入れをしたりパッチワークに挑戦したり母には常にやりたいことがいっぱいだった。

だいぶ大人になってから母にあの頃はこうだったのよ的な話をしたら豪快に笑い飛ばされた。小学生のあんたに無理させたわねぇ、などと言いつつも反省する様子はない。

それでいい。

確かに家のことも我が子のこともあまり顧みない母だったけれど、花を愛で歌を歌い朗らかに笑う母の姿勢そのものが私に色んなものを与えてくれた。

絵本を読み聞かせてくれたこと。
花の育て方を教えてくれたこと。
留守番ばかりの私を子供を集めた会に入れてくれてお芝居や人形劇などの公演に行かせてくれたこと。

細やかな事だけれど、そのすべてが今の私を作っている。どれが欠けても私ではなくなる。自分のことが好きとか嫌いとか考えることはあるけれど、

私のために
やりたい事を我慢しないでくれて
ありがとう。


心の底からそう思う。
もし母が色んなことを我慢していたら、動けなくなった今の母の姿を見て、私はきっと後悔したことだろう。

だから、
ありがとう。

もしもまた私のことが分かる日が来たら、そう伝えられるのにね。

照れくさくて言えないけどさ。