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旅は思い立った時から始まっている

定年退職してアジアを歩くのが夢だった。
コロナ禍の前、アジアをひとり旅しようと全て準備していたのに直前キャンセルを2回も強いられた。
今日はその1回目の直前キャンセルの話だ。


直前キャンセルを強いられた旅

「旅は思い立った時から始まっている」
これは私が大切にしている旅の概念を表す言葉だ。
これは旅に出ようと思いついた時から、既に頭の中は旅立っているという意味だ。

旅は、準備期間と旅に出てから帰るまで、帰ってからの思い出期間の三つの時間に分けるとしたら、その中でも準備期間が最もウキウキワクワクして楽しい時間だということだ。

韓国を歩く旅を計画

定年退職後、私は手始めに韓国を歩こうと準備をしていた。
予定は10日程度だ。

2018年8月、文在寅(ムン・ジェイン)政権が南北融和を推し進め、日韓関係が最悪に進んでいる最中だった。
しかしそのことが私のアジアを歩きたいという気持ちを遮る理由にはならなかった。

これまでにも何度も渡韓経験があるからだ。
よく知っている韓国でも歩いてみたいところがあったのだ。

私は10日間の計画を立てた。
飛行機は韓国のLCCチェジュ航空のサイトで最も安い航空券を探し予約した。
日程はその航空券の価格が最も安い日に合わせたのだ。

片道が7000円程度だった。
2018年9月5日、往路は関空の夕方便だ。

関空から仁川まではボーイング737で2時間程度だ。
関空からソウル駅まで空港鉄道のAREXではなく一般列車で行くことにしようと思った。

少し時間はかかるが待ち時間はほとんどないからだ。
前に行った時の電車に乗る時に必要なT マネーカードも持っている。

ソウル駅に着いたら駅の上を通り抜ける「ソウル路7017」を歩いて、今はないシロアムサウナに行って一晩過ごす予定を立てた。
ソウル路7017という歩道橋はソウルの夜景スポットとしても有名なところだ。

汗蒸幕のあるシロアムサウナ(コロナで閉店)は以前にも行ったことがあるので場所もよく知っている。
たしか一晩利用しても1万数千ウォン(日本円で千数百円)だったと記憶している。
大きなサウナなので中にはもちろん風呂もあり汗蒸幕もあり食堂もある。
チムジルバンと呼ばれるサウナは、韓国で最も安く宿泊できる施設だ。
個室がないので眠れるか保証できないのが一番のリスクだ。

2日目は歩いて南大門まで行き朝食を食べる。
歩くのは昨夜も歩いたソウル路7017だ。
今度はソウル駅の上から南大門方面に向かって歩く。

南大門までは1キロ程度だ。
明洞まで歩いても2キロくらいだろう。
ソウル路7017には韓国グルメの店もあるので、途中でいい店が見つかればそこで朝食にしようと思う。

アジアを歩く最初の目的地、ソウル路7017の次はスウォンファソンだ。
スウォンファアソンはソウルから電車で1時間ほど南に下った水原市にある城郭だ。

この日は水原市のホテルを予約した。
スウォンファソンの城郭を一周すれば5.7キロを歩くことになる。
南の八達門(パルタルムン)から反時計回りに歩こうと計画した。

徐々に山を登っていくようなコースなので、水原に着いたらリュックをホテルに預けて身軽な格好で歩くことにしている。

夜は八達門近くの市場で夕食をする予定にした。

旅の準備

このように10日間の予定を組んでいった。
アジアを歩く旅なので歩くことにこだわった旅だ。

1日目:ソウル路7017からの夜景
2日目:ソウル路7017を歩く
3日目:スウォンファソンを一周する
4日目:春川と南怡島(なみそむ)を歩く
5日目:西原州(ソウォンジュ)で韓国一スリリングなトレッキング
6日目:DMZ(非武装地帯)に近い坡州市を歩く
7日目:ソウル北エリアを歩き倒す
8日目~予備日

個人旅行なので変更も自由だが、3日目と4日目、5日目のホテルは予約した。
後は現地で予約する予定にした。

一週間前にはリュックのパッキングも済ませ準備は万端だ。
特に忘れやすいカード類の確認もした。
保険付帯のクレカやKIXカードなどだ。

これだけ神経質になっていてもいつも何かを忘れて家を出る。
パスポートは毎日のように確認している。

もう忘れ物はないはずだ。


カカオマップアプリをシュミレーションしてバス停なども登録しておいた。
もちろんサブウェイコーリアアプリもアップデートした。

3日前には確認するものもないほどだった。

直前キャンセルの理由

1ヶ月以上も準備してきたが、やっと二晩寝れば旅立つ日が来る。
翌日の9月3日、ひとつ気になるニュースが報道された。

台風だ。

しかし大方の台風は何事もなかったように通り過ぎていくものだ。

だが、その21年前(1997年)の台風が頭をよぎった。
その日も仲間と4人でソウルへ行く日だった。
台風は瀬戸内海を縦断した。

既に関空にいた私たちが乗る飛行機は、空港に降りることができないと判断され欠航になった。
滑走路を見ると30m以上はありそうな風の中、外国の飛行機は構わず離陸していた。

どうも飛行機は離陸より着陸の方が難しいようだ。
その一週間前も台風で荒れていたから、まさか立て続けに台風が来るとは運の悪いことだと思った。

南から室戸岬に向かっていた今回の台風21号も、21年前と同じように勢力を保ったまま関空へ向かって来ていた。

翌日(9月4日)家でニュースを見ていると大阪は強風によって甚大な被害が出始めていた。
そして高潮で関空が浸水し、更に強風で流されたタンカーによって関空の連絡橋が壊れた。

万事休すだ。
関空には約3千人が取り残された。

私はその次の日が出発予定だったのでその難は逃れることができたのだ。

21年前は大阪に宿泊してその次の日の臨時便でソウルに行くことができたが、今回の被害を見るとそんな簡単に復旧されると思えなかった。

飛行機はFIXチケットだったが、当然キャンセルすることができた。
最も安価な条件で予約していたホテルの2泊分はキャンセルできなかった。
キャンセルできたのは、立地を優先していたホテルだけだ。

それからは、どれだけ安くてもキャンセル条件の悪いホテルは予約しないことにした。

私もそれは残念でならなかったが、関空に取り残された人の中にはもっと残念だっただろうと思える人たちがインタビューに答えていた。
アルバイトで貯めたお金で初めて海外旅行をする若い人や、この日をずっと楽しみにしていたニシア夫婦などだ。

私も、何日もかけてパッキングしたリュックを背負うこともなくこの旅は終わった。

しかし考えてみると準備をしたこの一ヶ月間は毎日ウキウキして、頭の中では毎日韓国を歩いていた。

一ヶ月間も幸せな旅気分が味わえたのだ。

「旅は思い立った時から始まっている」だ。

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