四季の花を愛でるシリーズ 六月 紫陽花を観に鎌倉へ篇
いつものようにさり気なく。
みなさんの心のオアシス、夢きょうこがナビゲート。
なんとか長崎遠征の記事を書き上げ、週末に日本橋長崎館にヴィ様が数年ぶりに来場してくれるらしいイベントを前に紫陽花レポを書き上げなきゃならん!と取りかかっておる次第です。
本編、紫陽花だけのマジメな記事にはなりませんのでいつもの読者様方ご安心ください。
※ご新規読者様へ、本編にはフェティシュな内容も含まれます事、ご理解ご了承下さい※
国指定史跡「明月院」明月庵の創建は今から約八五〇年前永暦元年(1160)にはじまる。←冊子から抜粋。
この地の武将で平治の乱で戦死したや山内首藤俊通の菩堤供養の為、俊通の子、山内首藤経俊によって創建。
その約百年後康元元年(1256)、鎌倉幕府第五代執権北条時頼公によってこの地に「最明寺」を建立(現在、明月院の西北の場所)。時頼の別業の仏堂。
鎌倉殿も見ていたし、わりと鎌倉には足繁く通っていたのに今年初めて明月院に来たという(汗)知ったのも初めだったという(汗)
後に北条時宗(時頼の子)によって最明寺を全身として「福源山禅興仰聖禅寺」を再興。開山は蘭渓道隆禅師(大覚禅師)。康暦二年(1380)、時の関東公方足利氏満が菅領上杉憲方に禅興寺の中興を命じ、伽藍を官備、寺域を広大にし、支院を配置させた。
足利三代将軍義満天下の時、大寺院を選ぶにおいて禅興寺を関東十刹の一位とする。明月庵は「明月院」と改められ支院の首位におく。
中興開山は大覚禅師の五世法孫の位置にある密室守厳禅師。本尊聖観世音菩薩。「明月院絵図」(国重文)にありし日の堂塔伽藍を偲ぶ。禅興寺は明治初年に廃寺となり、「明月院」のみを残し今日に至る。
人の多さと見事な紫陽花郡に圧倒され、明月院の凄さを知る筆者。とても素晴らしいところなのでまた訪れたい。紅葉の時期なんか最高だと思う。北鎌倉の名所でしたわ。
紫陽花ってわりかししとやかなイメージを持たれやすいけど、よくよく見るとかなり豪華絢爛な花だと私は思う。
それに、ブルーがこんな見事な大輪の花ってなかなかないよね。
こんなに立派に沢山の花を咲かすのに派手さのイメージはなく純潔で清楚。
梅雨時期の雨に濡れてより良さを際立たせる存在。
紫陽花に魅せられる理由、紐解くほどに奥深い。↓あわせて読みたい。
空腹に耐えきれず、近くの軽食屋へ↓
北鎌倉駅前で紫陽花シーズンど真ん中だったのでほとんどのメニューが売り切れ。
立地も良くサクッとお蕎麦をいただくのに最適なごはん処でしたね。
明月院をメインに記事スタートしちゃったけど、最初に立ち寄った紫陽花スポットは「東慶寺」←ここも初めて行った。
混雑を避けるためなのか、撮影禁止だったのでお写真が撮れずメイン記事にもってこなかったけど東慶寺の紫陽花もすごく良かった。
と、突然の告知☆写真展参加の告知を2つ。
2つともに、場所は渋谷のギャラリールデコとなります。駅近ですので是非ともお立ち寄りくださいませ。
さて、紫陽花の鎌倉を堪能しお腹もととのえいきなりの告知からの流れで散文のターン入ります。よぉ!ぉ!
MORETHAN TAPAS LOUNGEでのランチビュッフェに予約して数カ月待ちやっと行けた♪
都度、いいタイミングで振る舞われるハーブティーがどれも美味しかった。ピーチティー〜♪桃の芳しい匂い良き〜♪
某日
コロナ禍もあり出演できていなかった、肉感撮影会に久々エントリー。完売。
いつもの方、初めましての方、暑い中逢いにきてくだり心から感謝です。毎度楽しい時間をありがたき。お土産等もサンクスです。
以下、K様から送っていただいたデータになります。
紳士との出逢いに、感謝感激。縁こそ宝。
互いのポテンシャルを最大限に活かしたポートレートセッションでした。
光沢感が上手く撮れていてさすがでしたね。ナイスライティング。
スタジオ近くに紫陽花も咲いていたので外撮りに行くのも良かったかもです。外、ボンテージとか異色な感じも撮りたい!
肉感撮影会、ご興味ある方は是非とも次回エントリー時にご予約お待ちしております!
連続枠でのご予約、チェキ、オプション等も大歓迎なので宜しくねʕ•̀ω•́ʔ✧
錦糸町駅近く、牡蠣の旨みを濃縮させた濃厚無化調「牡蠣ダシ」スープが人気の錦糸町のラーメン店「佐市」へ行ってきました。
スープが旨すぎて完飲してしまったけど罪悪感ナシ。むしろこんな旨いスープを残すという選択肢は考えられなかった…。牡蠣ラーメンてこんな美味しいのか…もっと牡蠣ラーメン屋さん増えてほしいよ切に願う。
やんばる、で初めて注文してみたナーベラー定食というヘチマの味噌煮。
池袋にもやんばるがあることを先日知った筆者。いつも新宿店行ってたけどこれからは池袋でも行ける!ちゅらちゅら〜
元祖☆令嬢倶楽部、でラママ出演が決まってすぐにスクール通っていたの。黙っていたけどいつも背中を押してくれる先生のありがたいお言葉に励まされているの公にしたくて恥ずかしかったけど公表しちゃった。
ステージに立つ限り誰よりも目立ってきなさい!、先生が教えているんだから絶対に大丈夫!、などなどレッスンの度に闘魂注入してくれるの流石先生。頼りにしてます。これからも、、、
元祖☆令嬢倶楽部でのステージは、
7/9㈰神田スペースキューブ
8/20㈰四谷アウトブレイク
両日共に前予約受付中ですので、是非とも観に来てほしいです!
神田の日はアイドル色強め、四谷の日は演劇とフェチ強めでショー魅せます!!
鎌倉の紫陽花記事と思いきやお色気満載ないつものかんじでやっつけちゃったけどご新規読者はついてこれているのか…。
つ((´^ω^))い((´^ω^))て((´^ω^))こ((´^ω^))い((´^ω^))や
本編に戻ります♪
紫陽花鑑賞、お蕎麦も食べて、向かいましては鉄板夏の風物詩、カキ氷でございます♪
期間限定にめっぽう弱いので、新茶金時をチョイス。
ふわふわすぎず、シャリシャリ感も少しだけありどちらもイイトコドリって感じの食感。
茶屋のこだわった新茶が氷とマッチしてオトナ風味。甘すぎない渋すぎない丁度良さ。
カキ氷ってもはや高級スィーツの座を獲得したよね。
高級スィーツになってから並ぶイメージあって食べに行く機会なかったけど、大人カキ氷はご賞味の価値大アリですわ。これはハマる。
シーズン前だったので並ばずに食べれたので超ラッキーでしたわ。
このあと紫陽花まだ見たいマンを発動させ、カキ氷後に他の紫陽花公園に立ち寄りますが残念定休日。
そのまま海辺へ足を伸ばします。
カキ氷で至福の時間を過ごし、海まで見ちゃうのちょっと夏を先取りし過ぎじゃございませんこと?
このとき、ウェディングフォトを撮影されているご夫婦が二組おりましてね。
いやはや若い男女の幸せなる瞬間を傍観者といえど祝福←心ん中でな、できたのはとても充実感ありましたよ。
筆者もめちゃくちゃこだわったウェディングフォト撮りにハワイまで行ったの思い出したよね。ウェディングフォトってのは昔もそのずっと昔も今も、ポージングとかあんまし変わらんもんなんやと思ったねぇ。
遠い目…
こだわりまくったので1日使って早朝から夜遅くまで撮影ロケしたし出来たのデータにプラス本も光沢版とマッド版2冊作ったの…遠い目…
(^^)
今回もとんでもない散文に最後までお付き合い、ありがとうございました。
実態の不確実な私に付き合ってくれている皆は、私が善人だろうと悪人だろうと、本当は怪物だろうとそんなことは問題ないって云ってくれるわけでしょう。
ひとは愛がないと死にます。
物理的ではなく、心のはなし。
愛でひとは満たされて生きていけるのです。
でもこれは愛を乞うた人間にしか、わからないかもしれません。
何処かで、一度も恋愛をしたことがないひとは居ても一度しか恋愛をしたことがないひとは居ない、というような言葉を聴いたような記憶があります。それは一度経験してしまうとそれが良かろうが悪かろうがまたそれをしてしまうのです。本能なのです、よ。
悲劇でも喜劇でも、恋愛で人生は豊かになるし誰かを真剣に想うって成長できる貴重な体験だと私は思う。恋愛といえど人間関係の延長なので。思い遣り、のコミュニケーションが欠落すれば友人でも家族や恋人でも関係は決別、なわけです。
お客さんが、「音楽は学問だから頭が良くなければできない」と仰っしゃられていて。確かにそうだなと思ったので。←この話どっかで書いたっけ?書いていたらまたお付き合いください、ならば恋愛も学問に等しいとそのとき思ったわけで。恋愛は感情だけでは上手くいかない。頭を使わなければならない場面が少なくとも出てくるわけで。「想像力」というスキルがなければ安定した平穏な関係は長く保てないじゃないですか。これをしたら相手が悲しむだろうな、とか、これをしたら相手が喜ぶだろうな、とか、思い遣る想像力でそれがときにトンチンカンだとしてもまず考えること、感情に任せないで頭で冷静に考えることが大切だと筆者の持論ですけどね。優しさでしか最善の関係は築けないので。
まあ、そうはいうても人間は感情の生き物ですからねぇ、そんなクールになんでもかんでもいなせるかって…難しいんですけどね。
人は確実に老います。
私は高齢の両親と暮らしているので、どちらかが介護を要する身体になったときのどちらかの負担や家族の負担を目の当たりにして生活しているのですが。夫婦が互いに歳老いて相手が介護を必要とする状況になったときに、人間の最後の思い遣りが必要とされるんじゃないかと見ていて思うわけです。
認知症も入り、ほぼ寝たきりのどちらかを感情的にならず受けとめて支えるというのは肉体的にも精神的にも想像を絶することなので。例え家族といえど。
高齢の親を介護している友人も何人か周りに居て。愛は男女だけでなく、親子の愛、家族の愛、と多様な形で多く存在するわけで。そこには人間の持ちうる最大限の思い遣りを家族だからという呪縛で乱用する過酷な現実を強いられていたりするのです。ちょっと重い話かも。
本来私たちの人生は自分自身の為にあるもの。
生き方を制限される権利は家族といえど自分以外の何者にもない。
どう生き、どう死のうと、それを咎める権限は誰にも持ち得ないでしょう。ねぇ。
ちょっとシビアな雰囲気にしてしまってごめんね。
ロマンスは続く。
自分勝手で申し訳ないけど、わたしの人生はわたしが決める。そんなの当たり前だけど、わたしの人生はわたしとわたしが愛した男が決めればいい。わたしの人生を決める覚悟も権利も持たない程度の男なんてさ、そんなのその他大勢と変わらんし。その程度の軽い想いなら、他の娘に行ってくれてどうぞ。ってのが本心。
悪いけど、恋慕ってのは目ん玉んなかにあんただけお前だけを写してやってくもんなんで。そうじゃなきゃ相手が相手である意味も価値もないんで。代わりが居るならべつに一緒に居ることないんで。あんたじゃなきゃお前じゃなきゃ、って血反吐流して奪い合ってだって求めやまないのが好みです。勝手ばっかいって申し訳ないけど、いいオンナは野蛮なので悪しからず↓
ちょっと長くなっちゃった♡
愛しているのは、あんただけだよ、
なんちゃって♡な♡
これからも、身勝手なあたしを知って赦してもっともっと愛していてね
次回はちゃんとマスコット記事書く予定ですので、お付き合いのほど何卒だよぉ!!
アディオス♡チャオ!
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