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模倣からオリジナルへ。

3歳の次男は、ようやく2語文を話し始めた。きっと、発達のスピードは同年代の子に比べてゆっくりめ。ただ、彼の観察力には驚かされてばかりだ。

次男が2歳のころ。「うちって大家族やったっけ?」と言いたくなるほど、大量の洗濯物をたたんでいた。パトカーのおもちゃで機嫌よく遊んでいた次男が、そろりそろりと近寄ってくる。上目づかいで両手を広げて私を見る。抱っこをねだるポーズだ。

「今、洗濯物をたたんでいるんよ」と声をかけると、近くのタオルに手を伸ばす次男。ブンブン振り回すんやろうな、と思っていたら、ゆっくりとたたみ始めた。

次男に、洗濯物たたみを教えたことは一度もない。けれど、次男は我が家のスタイルでタオルをたたんだ。食器の片付けも、開けたドアを閉めるのも同様、次男に「こうやってやるんだよ」と教えたことはなかった。きっと、夫や私、長男の行動を見て、まねして自分のものにしているのだろう。

「学ぶの語源は"まねぶ(真似する)"」

そんなことを考えながら、ふと、中学生のころに見た母の姿を思い出す。兄と私を育てるため、常に複数の仕事をかけもちしていた母。平日は新聞配達にヤクルト配り、生保レディー、土日はスーパーの惣菜コーナーでお好み焼きを焼いていた。

ある日の夜中、トイレに起きた私は偶然、台所のダイニングテーブルで読書をする母と出くわす。ちょうど本を読み終えたタイミングだったのだろう。少し上を向いて目をつむり「いやーええ本やったわ。余韻がおさまらん」とほほ笑んでいた。

ヨイン?何それ?
ていうか、寝なくていいん?
本なんか読んで、絶対にしんどいやろ…

当時の私には、全く意味が分からなかった。そのときは「ふーん。よかったね」と適当に相づちを打ち、眠りについた。

20年以上が経った今、母の言っていた「余韻」の意味が分かる。1冊の本に触発され、ぐるぐるぐるぐる思考がめぐる。思考の果てに、あー!このことやったんか!と気づく瞬間。まさに読書の醍醐味だ。

もうひとつ、気づいたことがある。
休みなしで働いていた母が、睡眠時間を削ってまでのめり込んだ読書。あれはきっと「寸暇を惜しんで」いたわけではない。むしろ、母のリラックスタイムだったのだろうな。

家族が寝た後、静かな部屋で大好きな本を読む。おそらく母も、この「至福のひとり時間」を満喫していたのだろう。

まねするつもりなんてコレっぽっちもなかったのに、今の私はあのころの母と同じことをしている。あの夜に見た母の姿が、私を本に向かわせたのかな。「親の背を見て子は育つ」と言うけれど、意図しない学びも含まれているかも。笑







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