人生と社会のレールから外れた2021年の総括と非効率的で非合理的に向かう2022年の展望
本来は元旦に更新する予定でした。しかし、この文章を書き上げた時に、自分の在るべき姿、在るべき形を考えました。もっとゆるく、もっと遅く、他者からの評価を求めることよりも自分にとって価値があるものを評価していきたいと感じました。そして、初日の出の体験を通して、2022年に自分が向かうべき方向性を見つけることができました。
時間の流れは止めることはできないです。
遅いと感じるか、早いと感じるかはそこまで気にする必要はないと思います。それよりも流れる時間の中で、その都度自分の感情を確かめながら、選択したことを問い続けることです。選択に間違いは存在しませんが、失敗は付き物です。失敗したことで、あなたの評価が下がることがあったとしても、あなたの価値は普遍です。むしろ、あなたがあなたのままで在ることを肯定してくれる環境を探していくことの方が大切です。
そんな僕の2021年は、失敗という大きな財産を得た一年でした。
この一年で大きな変化は、「大学を卒業したこと」と「会社を半年も経たずに辞めたこと」です。もちろん、こんな風になるとは、2021年の当初は想像もしていませんでした。その時何を考えていたかを当時の僕は、記録として残していなかったので、今ではわかりません。だからこそ、記録として残すことに意味があるとこの一年身を持って経験しました。やりたいことはたくさんありますが、未来を考えることよりも、今できる時にできることをやっていくしかないのです。劇的に変わることなんてありません。一日一日、日々の暮らしの連続の中で、他者からの信用と信頼を得ていくとともに、自分の幸せの感度を高める方法を知る一年にしていきます。
2021年の旅路
結論から言うと、自分の納得いくものが作り続けることができませんでした。自分の中にある変なブライドが邪魔をしたり、精神的に不安定になったり、他者に選択権を委ねてしまったり...主に自分と向き合う時間を怠っていました。
今に至るまでの経緯は、詳しく説明することは正直難しいです。なので、ここに書いてある断片から拾い上げてください。
この5月から11月の半年間で、本来の自分に還ることができました。そして、12月からnoteを再開することとなりました。下記5つの記事を読んでいただければ、僕がどう世界を見ようとしているかがわかると思います。
点と点を繋いで、言葉を紡ぎ出し始めた12月
2021年の撮影記録
2021年は、本格的にカメラを始めることを決意した年です。11月でようやくカメラ歴1年を迎えました。この一年間は、自分が何を撮って撮らないのかを試行錯誤してきました。自分の納得のいく写真を撮ることもできなかったですし、継続的に撮影に取り組むことができませんでした。それは、自分の中で迷いがあったからです。写真もやりたい、映像もやりたい、旅もしたい、社会をより良くするための仕事をしたい、海外で暮らしたい...。数え切れないほどやりたいことがあって、全部に少しずつ手を伸ばしていったことで、全てが中途半端になってしまいました。自分には、一本の太い芯の通った軸というものが存在していなかったのです。軸がブレていくから、時間が経つにつれて自分の本当にやりたいことが見えなくなっていきました。
そんな暗い森の中を彷徨いながらも、一筋の光を見えた瞬間は何度かありました。それを自分の表現に落とし込みことをせずに、ただ自分の良い時だけの表面をなぞり続けていました。言い訳をするくせに、全然取り組んでいないことを隠していました。そんな自分をようやく受け入れ、一歩でも自分の人生を歩むために、仕事を辞める決断をしました。
Sigma fp は僕の表現の可能性を拡張したカメラの一つ(2021.06)
望遠レンズは魔法(2021.04)
オールドレンズの処女作(2021.01)
年内最後の旅「横浜・みなとみらい」で自分の軸が見つかった
2022年の展望
11月に仕事を辞めて、12月に充電期間を得たことで、自分の写真表現を再構築するきっかけになりました。それが「横浜・みなとみらい」で旅をした時に、自分の中で確かな手応えを得ました。この表現を固定化させずに、拡張させて小さな幸せを一つずつ救い上げていくように。
そして、新年早々に朝3時に出発して、早朝5時半から初日の出を記録するために鎌倉の由比ヶ浜に赴きました。2時間半という長期戦の果てには、魂の灯火を感じる写真を撮ることができました。なぜ、人々が元旦に初日の出を見るのだろうか。いつでも、朝日は見ることはできます。でも、人々は元旦に一年の願い事を祈るように、手と手を重ね合わせます。願いと祈りが集積が元旦の空に浮かび上がると想像した時に、とても素敵なことに思えました。今年、人生初めて初日の出を見て、たくさんの人波に漂いながら、新しい一年の始まりの瞬間を共有するのは感慨深い体験でした。
記録の連続性
記録が、記憶を超えていく。写真と映像が、言葉を超えていく。
ここで見た景色とオールドレンズで切り取った世界が、まさに「写真には過去と未来をつなぐ力がある」と自信を持っていえる体験でした。
写真には、肉眼では見えない世界を写すことができます。そして、写真に写る世界を重ね合わせることで、物語が生まれます。たった一枚で物凄いメッセージ性を主張する写真もあれば、写真と写真を組み合わせることで浮かび上がってくることもあります。僕は、一つの点に過ぎなかったものを時間をかけて、ゆっくり繋ぎ合わせて一本の道になっていくまでの過程を含めて、表現を拡張させ、深化させていくことに取り組んでいます。きれい、美しい、愛おしい、懐かしい...日本語にはたくさんの表現が溢れているように、写真にある表現の豊かさを伝えていきたいと思っています。
僕の写真は記録の連続性から生まれる。
ただ写真を通して伝えるのではなく、オールドレンズを介することでカメラ本来の記録性に視点に立ち返ることに価値があると感じています。フィルムカメラではなく、最新式のカメラ(今)とオールドレンズ(過去)の組み合わせで表現したものを未来に送るのです。
僕のYouTubeは、再生数よりも、今ある素材の中からその時にしかできない表現を記録として残すことに意味を感じていきたいです。
写真と映像による、時間の連続性の先の物語
その一つ一つの結晶には、SNSで連続的に記録していくことでどう昇華していくのだろうか。それを2022年は丹念に記録していこうと考えています。これが僕の魂をかけた自己表現であり、これからも生みの苦しみを味わいながら、次の旅路に向けて準備を進めています。
世の中には、たくさんの情報が溢れ、ひとたび情報の渦に入り込んでしまったら、その世界は固定化されていってしまいます。多様性という言葉だけが独り歩きしていき、社会はより良い方向に進もうしていないように感じることが多いです。唯一の救いは、社会をより良い方向に進めようとしている方々がいるということです。
より良い方向とは、「善く生きる」ということです。仕事を軸にすることよりも、自分の人生を生きるということです。そして、常に問い続けることです。永遠に続くことは、存在しません。今という瞬間は、常に通り過ぎていくように、時の流れをどう感じ取るかで世界の見方は変わります。
僕は2022年の最初のnoteは、あえてやりたいことを100個考えました。目標を掲げて、それを達成する儀式を辞めました。誰が決めたかわからない人生と社会のレールの上に乗り続けて、幸せを感じる瞬間は訪れることはありません。目標を達成しようが達成しまいが、僕は僕のままです。目標を達成しても、人生は続けていきます。それなら、いっそのこと毎年の初めに思考の断片をより鮮明に記録した方が、未来の自分はより生きやすくなるではないか、という壮大な実験です。
2022年は、より原始的な営みに回帰していこうと思います。「非効率的で、非合理的」という言葉の基に、作家性を追求していきます。まだまだ一つ一つの作品群には、密度と練度が足りません。もっと深く、濃く、研ぎ澄ますように。
そのために、自分の好きをどんどん言葉にしていこうと思います。嫌なことは溜め込まず、言えるようにしていきます。ありのままの自分を受け入れる人たちと、これから人生を共に生きていきたいです。会話をするよりも、対話をする関係性を築いていきます。時間も労力もかかるけれど、心の平穏を求めて。お互いに見えていなかったものに、焦点を合わせて、小さな幸せを見つける。ずっとそこに存在していたんだよ、ということを日常を旅をしながら伝えていきます。
僕がその時々に何を考え、撮影を通して何を切り取って表現しようとしたのか。そのためには、自分自身に対して誠実に在り続けていきます。
最後に
今年は、身近な人たちとの関係性を大切にしていこうと思います。そして、このnoteやSNSを通して、新しい仲間を増やしていけたら幸せだなぁ。
気軽に撮影依頼やDMをください。
今年もよろしくお願いいたします。
2022.01.03 Yuma Koido
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