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大事にしていること

noteの書き始めの頃に『後日書く』とか言っておきながら書いてなかった事があるので書いておく。

『忘己利他』
前にも少し話をしたけど、僕が生きる上で大事にしている事。

思想的な話をするとなんだか食いつく人が多い気がする。
思想と言うと小難しくなるし、信仰的な感じに聴こえてしまうから『大事にしている事』の方が柔らかいかな。

『この人何言ってるんだろうな?』
ってなるのは承知の上で話している。
あくまでも僕の意思だから。

でもココロの奥底では、人類皆この考えになればいいのにな。と思っている節もある。
その欲望は良くないので止めよう。


『忘己利他』は寂聴さんも大事にしていた言葉だ。
というか天台宗の上位の教えで、出家後に様々な経験を経てそこに考えが至ったとのこと。
僕にはなるべくしてなった姿に見えた。

それを知ったのは高校生の時。
その時は何にも考えていなかった。
こういう言葉もあるんだな〜。で終わっていた。
ただ何故か強烈に覚えていた。

この記憶が蘇ったのは4年ほど前の事。
今思えば僕は人じゃなかったなと思うほど、他人に甘えていたし、なにより人間としてダサかった。
調子に乗っていた。
色んな事に気づいてないと恩返しも出来ないんだとすごく反省したんだよな〜。

そこで切り替えた。
その時に忘己利他が何故か降りてきた。
今大事にすべきことはこれだよ、と。

自分には何が出来る。
何が得意で何が苦手だ。
誰を思って、何を考えて今そこに居る。
一旦自分の事は置いてやれる事をやれ。

確かこんな感じの事が頭によぎった気がする。

大事なのは最後の利他的なワード。
忘己利他の如く、一旦自分は置いといて。が切り替えの速度を躍進させたと思う。

元々言われていた事だった。
''活かす事が得意''と。
0→1じゃなく、1→100。
それが利他の精神と直結した。


その時から不思議と''人のために''みたいなのが自然になって、
それに対してなんの抵抗もなく生きていると思う。

忘己利他の精神は"いずれ自分に還ってくる。"
みたいなところがあるから、
人の為=自分の為
みたいに思う人がいるかもしれない。

けど、僕はこれを
『死んだ後でもいいから還ってくればいいな。
なんなら還って来なくてもいいよ。』
と思うようにしている。

教えを全うするとしたら見返りを求めない事が重要だから。


こういう事を言ってると、信仰に見える。笑
まぁそうなのかもしれないけど。笑
でも上に書いた事はあくまでもただの教え。
そんなことより、楽しんで行こうみたいな感じ。
楽しむから楽しんで貰えたら嬉しいなー!くらいの感じ。



とにかく楽しいは伝染する。

楽しそうに仕事してる人を見てると、
気づけば自分も楽しく仕事をしている(したいと思う)。

そうなったら仕事にも活きてくると思う。
(先週末はそれで友人の古物買付でアイヌにハマった)

楽しそうに遊んでる人と一緒に遊びたいと思って遊んでみると、やっぱ楽しく遊べる。

恋愛でも辛い事があっても、楽しい時間を過ごせていればバランスが保てるし、
なんなら忘れられたり、ポジティブになって上手くいくかもしれない。


結局は自分次第なんだけど、伝染して巻き込む事や、巻き込まれる事なんてどんだけでも出来る。

自分の体感だけど、
ポジティブがポジティブを引っ張る=ポジティブ
ポジティブがネガティブを引っ張る=ポジティブ
ネガティブがポジティブを引っ張る=ポジティブ
ネガティブがネガティブを引っ張る=ネガティブ

のように、ポジティブが居れば楽しくなる。
ポジティブは負けない説。

自分の事をネガティブだと思う事は何も問題ではない。
凹んでるならあとは立ち直って進むだけ。
どっちかと言えばポジティブになれたらそれを継続する事の方が大変。


『へこむ』ということを知らない人もいる。
見返りを求めないようにすれば返ってこない時のダメージもデカい。
テンションの浮き沈みはもちろんあるけど、最近僕はそうしている。
『求めない』の重要さ。

自分でどうにかする根性を持っていた方が求める機会も減るし、
自分のせいにできてしまうから反省点も生まれる。
これは悲観的なわけではない。
ポジティブだからこその考え。


『壁は乗り越えられる人の前にだけ立つ。』

昔母ちゃんに言われてなんだか元気になった言葉。
壁も悩みも立派に人間をやってるから出てくるはず。


それさえも乗り越えるための楽しみに変えてやろう。
それが自ずと自分のためじゃなく、人の為になるんだ。

どうせ生きるなら関わる人全てと楽しく生きていきたい。

大事にしていることはそれだけ。

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